モリコーネ(読み)もりこーね(英語表記)Ennio Morricone

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モリコーネ」の意味・わかりやすい解説

モリコーネ
もりこーね
Ennio Morricone
(1928―2020)

イタリアの映画音楽作曲家、指揮者、編曲家、トランペット奏者。トランペット奏者の長男としてローマに生まれる。小学校時代の同級生に、後年コンビを組む映画監督セルジオ・レオーネがいた。1938年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に入学、ゴッフレード・ペトラッシに作曲を師事。ほかにトランペット、管弦楽法、和声学を専攻した。在学中の1946年に声楽曲「声とピアノのための〈夜明け〉」を作曲、並行して劇場音楽の作曲やジャズ・バンド演奏などの活動を行う。1956年に同音楽院を卒業してからは現代音楽作曲家を目ざし、十二音技法(1オクターブに含まれる12の半音階をすべて均等に使う作曲技法)に基づく「管弦楽のための協奏曲」(1957)や「ギターのための四つの小品」(1958)などを作曲。しかしアカデミズムの注目を引かなかったため、スタジオ・ミュージシャンとして働くことを余儀なくされる。このころアルフレッド・ニューマンAlfred Newman(1901―1970)が作曲を担当した映画『聖衣』(1953)を見て映画音楽の魅力に目覚め、ゴーストライターとして数多くのラジオドラマの音楽や映画音楽の編曲を担当。

 1958年にはドイツ、ダルムシュタット国際夏季音楽講習に参加。ルイジ・ノーノ作曲の『ディドーネの合唱』初演のアシスタントを務めるかたわら、ジョン・ケージのセミナーを受講し、偶然性音楽の影響を受けた。

 1960年代前半はイタリアRCAレーベルのアレンジャーとして500曲近いポップス・ソングの編曲、指揮を担当、イタリア屈指のアレンジャーとして高い評価を得るようになる。

 並行して、1961年には初の単独名義による映画音楽『ファシスト』Il Federale(日本未公開)を作曲。1964年、ダン・サビオDan Savio名義で作曲した『荒野の用心棒』でレオーネ監督と初めて組み、口笛やジューズ・ハープ(口にくわえて指で弾くハープ型の小楽器)を中心とした斬新な楽器法とアクの強いメロディで一躍注目を浴びる。いわゆるマカロニ・ウェスタン・ブームの火付け役となった同作以降、レオーネとは『夕陽のガンマン』(1965)、『続・夕陽のガンマン』(1966)、『ウェスタン』(1968)、『夕陽のギャングたち』(1971)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)など全作品でコンビを組み、映画史上に残る共同作業として絶大な評価を得た。

 作曲を手がけた映画作品は500本近く存在するが、正確な数を把握するのがきわめて困難である。ピエル・パオロ・パゾリーニの『大きな鳥と小さな鳥』(1966)、『テオレマ』(1968)、ジッロ・ポンテコルボGillo Pontecorvo(1919―2006)の『アルジェの戦い』(1966)、『ケマダの戦い』(1969)、ジュリアーノ・モンタルドGiuliano Montaldo(1930―2023)の『死刑台のメロディ』(1971)、『マルコ・ポーロシルクロードの冒険』(1982)、ジュゼッペ・トルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)、『海の上のピアニスト』(1998)、ベルナルド・ベルトルッチの『1900年』(1976)など、イタリアを代表する映画監督とコンビを組んだことで、国際的な評価を確立した。アカデミー作曲賞候補となった『天国の日々』(1978)をきっかけにハリウッドからの作曲依頼が格段に増えたが、1980年代以降はむしろ映画音楽の仕事を減らし、演奏会用音楽の作曲に力を注ぎ始めた。こうした創作姿勢の変化は自他ともに認める最高傑作『ミッション』(1986)に結実し、カトリシズムと南米民族音楽の融合を試みた大胆な実験のなかに、映画音楽の一つの理想郷が立ち現れている。アカデミー作曲賞には『天国の日々』『ミッション』以外に『アンタッチャブル』(1987)、『バグジー』(1991)、『マレーナ』(2000)でノミネートされ、『ヘイトフル・エイト』(2015)で受賞。

 イタリア・ポップス界で鍛えあげられたキャッチーなメロディー、現代音楽に基づいた斬新な和声法や雑音までも取りこむ大胆なアレンジ、バロックから電子音楽までに通暁する膨大な音楽的知識、これらの諸要素が作品内容に応じた微妙な配分で現れるとき、俗にいう「モリコーネ節」が多様な広がりをもって現れてくる。こうした側面とは別に100曲以上もの演奏会用音楽を作曲し、前衛音楽団体グルッポ・ディ・インプロビザツィオーネ・ヌオーバ・コンソナンツァで即興演奏活動を展開するなど、実験音楽への取り組みも怠らぬ精力的な活動を続けていたことも見逃せない。

 1998年、サンタ・チェチーリア国立アカデミーより生涯業績賞が授与され、同アカデミー管弦楽団を指揮した演奏会のもようがライブ盤『モリコーネ・プレイズ・モリコーネ』(1999)として全世界発売された。2002年、リッカルド・ムーティの委嘱により、2001年9月にアメリカで起こった同時多発テロの追悼曲『沈黙からの叫び』を作曲。2003年(平成15)にはNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の音楽を担当した。

[前島秀国]

『江守功也監修、杉原賢彦編『Artisan de la Musique エンニオ・モリコーネ』(2002・愛育社)』『Sergio MicheliEnnio Morricone; La Musica, il Cinema (1994, Ricordi & Mucchi, Milano)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モリコーネ」の意味・わかりやすい解説

モリコーネ
Morricone, Ennio

[生]1928.11.10. ローマ
[没]2020.7.6. ローマ
エンニオ・モリコーネ。イタリアの作曲家,編曲家,指揮者。400とも 500ともいわれる数の映画音楽を手がけ,多くの名曲を残した。12歳からサンタ・チェチリア音楽院で作曲を学ぶ。映画音楽の作曲家デビューは,ルチアーノ・サルチェ監督『ファシスト』Il Federale(1961)。セルジオ・レオーネ監督,クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』Per un Pugno di Dollari(1964)などマカロニ・ウェスタン三部作で音楽を担当し高い評価を得る。その後も『シシリアン』Le Clan des Siciliens(1969),『死刑台のメロディ』Sacco e Vanzetti(1971),『天国の日々』Days of Heaven(1978),『ミッション』The Mission(1986),『アンタッチャブル』The Untouchables(1987)など諸作品に効果的かつ質感のある音楽を添えた。イタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』Nuovo Cinema Paradiso(1988)のメインテーマで世界的な知名度を得る。2007年アカデミー名誉賞受賞。2016年には『ヘイトフル・エイト』The Hateful Eight(2015)でアカデミー作曲賞を受賞。グラミー賞も 4回受賞。

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