モッセ(読み)もっせ(英語表記)Albert Mosse

精選版 日本国語大辞典 「モッセ」の意味・読み・例文・類語

モッセ

(Albert Mosse アルベルト━) ドイツの法学者。明治一九年(一八八六来日して、内閣法律顧問として明治憲法の制定や市制・町村制など地方行政制度の創設尽力。(一八四六‐一九二五

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デジタル大辞泉 「モッセ」の意味・読み・例文・類語

モッセ(Albert Mosse)

[1846~1925]ドイツの法律家。1886年(明治19)来日し、内閣および内務省法律顧問として、地方行政制度の創設や憲法制定について助言した。90年に帰国

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モッセ」の意味・わかりやすい解説

モッセ
もっせ
Albert Mosse
(1846―1925)

ドイツの法律家。ベルリン大学に学び、グナイストの影響を受けた。ベルリン市裁判所判事在任中、在ドイツ日本公使館の顧問となった。伊藤博文(いとうひろぶみ)らが憲法調査に渡欧した際、グナイストとともに伊藤らに1882年から翌1883年にかけてプロイセン憲法の講義を行った。その記録は同行した伊東巳代治(いとうみよじ)によって『莫設(モツセ)氏講義筆記』と題してまとめられた。1886年(明治19)明治政府の法律顧問として来日し、ロエスレルとともに憲法(大日本帝国憲法)制定に関し多くの討議をしたばかりでなく、とくに地方制度の創設に寄与した。1888年4月制定公布された市制・町村制は、ドイツの地方制度を範とした彼の案に基づくものであった。1890年帰国し、ケーニヒスベルク高等裁判所判事などを務めた。

[佐藤篤士 2018年8月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「モッセ」の意味・わかりやすい解説

モッセ
Albert Mosse
生没年:1846-1925

ドイツの法学者。ポーランドのユダヤ系医師の子として生まれる。兄は《ベルリーナー・ターゲブラット》紙の創業者で,出版・広告コンツェルンを一代で築いたルドルフ・モッセRudolf M.(1843-1920)。ベルリン大学法学部でグナイストに師事した。その後裁判官を務めたが,グナイストの推薦で,訪欧した伊藤博文一行に憲法,行政法を講じた(《莫設氏講義筆記》)。内閣および内務省顧問として1886年来日,レースラーとともに憲法起草に当たった井上毅らを助けた。また山県有朋内相に委嘱されて市町村制などを起草,それはその後の日本の地方自治制の基礎となった。90年帰国した後はケーニヒスベルクで裁判官を務めるかたわら,ケーニヒスベルク大学で裁判法,商法,民事訴訟法を講じ,名誉教授称号を受けた。1907年ベルリンに戻り,全国都市連合会議長,ドイツ・ユダヤ人連合副会長などを務めた。憲法に対する彼の助言は,概して君権主義的であるが,軍事予算に対する帝国議会の発言権の重要性を強調し,信教の自由の必要を力説している。近年孫の政治学者ジョージ・モッセを通じて,彼の在日時代の書簡集がアメリカで発見された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モッセ」の意味・わかりやすい解説

モッセ
Mosse, Albert

[生]1846.10.1.
[没]1925.5.31. ベルリン
ドイツの公法学者。医師の家に生れ,ベルリン大学に学んだ。 R.グナイストの愛弟子で,ベルリン市裁判所判事在職中,日本公使館顧問となり,1882年憲法取調べのため渡欧した伊藤博文に,グナイストの推薦で憲法と行政法を詳述したのが『莫設氏講義筆記』として残っている。 86年5月内閣および内務省法律顧問として来日,大日本帝国憲法の制定に貢献。また,地方制度創設のため,87年地方制度編纂委員会の委員となり,その起草した「地方官制及共同行政組織要領」を基礎に同委員会を指導してつくったのが,88年4月公布の市制及町村制である。在任中の功によって勲3等旭日章を贈られた。 90年4月帰国,ケーニヒスベルク高等裁判所判事,ケーニヒスベルク大学の名誉教授として講義も行なった。のちベルリンに移り,同市参事として市政にも尽した。

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朝日日本歴史人物事典 「モッセ」の解説

モッセ

没年:1925.5.30(1925.5.30)
生年:1846.10.1
ドイツの法律家,お雇い外国人。父は1848年ポーランドのポズナニで反プロシャ暴動に参加した医師,兄ルドルフは報道・広告のモッセ・コンツェルン創業者で『ベルリナー・ターゲブラット』紙社長。ベルリン大でグナイストの指導を受け,1882~83年憲法調査にきた伊藤博文に憲法,行政法を講じた。明治19(1886)年政府に招聘され来日,憲法起草に協力,山県有朋内相の諮問に答え,市制,町村制を起草して,地方制度の骨格を作った。1890年帰国後はケーニヒスベルクの裁判官,また同市の大学で裁判法,商法,民事訴訟法を講じ,名誉教授となる。1907年ベルリンに戻り,全国都市連合会議長,ドイツ・ユダヤ人連合副会長などを務めた。

(長尾龍一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「モッセ」の解説

モッセ Mosse, Albert

1846-1925 ドイツの法学者。
1846年10月1日生まれ。ベルリン市裁判所判事。明治15年(1882)憲法調査のためドイツをおとずれた伊藤博文らに,師のグナイストにかわって講義。19年内閣・内務省法律顧問として来日し,市制,町村制の原案を起草した。23年帰国。のちケーニヒスベルク大名誉教授。1925年5月31日死去。78歳。ベルリン大卒。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「モッセ」の解説

モッセ
Albert Mosse

1846.10.1~1925.5.31

ドイツの法律家。ベルリン大学でグナイストに学び,裁判所判事となる。1879年(明治12)日本公使館顧問。82年憲法調査に訪れた伊藤博文にドイツ憲法学を講義。86年内閣・内務省顧問として招聘され,地方自治制度につき助言。市制・町村制の草案を起草。明治憲法起草にも助言を与えた。90年帰国。

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百科事典マイペディア 「モッセ」の意味・わかりやすい解説

モッセ

ドイツの法学者。グナイストの高弟として1886年来日,1890年まで日本政府の顧問となり,憲法や市制・町村制の立案に貢献した。彼の立場は君権至上主義であり,両院同権の二院制,制限間接選挙制は彼の主張によるものだといわれている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「モッセ」の解説

モッセ
Albert Mosse

1846〜1925
ドイツの法学者。御雇外国人の一人
グナイストの高弟で,憲法調査のために滞独中の伊藤博文を指導。1886年内閣および内務省顧問として来日。大日本帝国憲法の起草に協力。また '88年発布の市制・町村制の原案を起草し地方自治制度の創設に貢献した。'90年に帰国。

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367日誕生日大事典 「モッセ」の解説

モッセ

生年月日:1846年10月1日
ドイツの公法学者
1925年没

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