メーン(英語表記)Maine

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーン」の意味・わかりやすい解説

メーン
Maine

アメリカの戦艦。その爆発事件がアメリカ=スペイン戦争一因となったことで有名。 1895年就航。全長 98.84m,船幅 17.37m,排水量 6650t。 98年1月 25日キューバにおけるアメリカの権益擁護のためハバナ港に入港したが,同年2月 15日朝大爆発を起し,死者 260名,負傷者 47名を出して沈没。爆発の原因については不明。当時キューバではスペインに対する内乱が長期化して,キューバにおけるスペイン軍の非人道的行為に対する非難がアメリカで高まっており,この事件でキューバ人への同情とキューバ干渉論が一層刺激されて,98年4月のアメリカ=スペイン戦争開始にいたった。

メーン
Maine, Sir Henry James Sumner

[生]1822.8.15. ケルン
[没]1888.2.3. カンヌ
イギリスの法学者,歴史学者。イギリスの歴史法学派の代表者。ケンブリッジ大学卒業。 1847年に同大学民法教授となり,同時にローマ法を研究発表し,63~69年インド総督法律顧問としてインド法の集成に尽力カルカッタ大学の代理学長をつとめた。 69年よりオックスフォード大学の歴史学,法理学教授,87年よりケンブリッジ大学国際法教授を歴任古代法村落共同体における法的観念の研究を通して法人類学の基礎を築いた。主著に『古代法』 Ancient Law (1861) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「メーン」の意味・わかりやすい解説

メーン

英国の法制史家,比較法学者。ケンブリッジ大学教授。歴史的・比較的方法によって名著《古代法》(1861年)を著し,ローマ法生成の社会的条件,発展過程を解明し,文明の発達を〈身分から契約へ〉という公式で説明した。ほかに《村落共同体論》《民主政府論》等の著書がある。
→関連項目身分

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

精選版 日本国語大辞典 「メーン」の意味・読み・例文・類語

メーン

(main)⸨メイン
[1] 〘名〙 (形動) 主要であること。中心となること。また、そのさま。〔外来語辞典(1914)〕
[2] 〘語素〙 他の語に付けて主要、主、正面、基本などの意を添える。「メーンテーブル」「メーンエベント」など。

メーン

(Maine) アメリカ合衆国の州の一つ。大西洋岸の最北端にあり、カナダと国境を接する。一八二〇年マサチューセッツ州から分離して、二三番目の州となる。氷河湖と針葉樹林が多く、林業が盛ん。州都オーガスタ。

メーン

(Sir Henry James Sumner Maine サー=ヘンリー=ジェームズ=サナー━) イギリスの法学者。イギリスの歴史法学・比較法学の創始者。主著「古代法」。(一八二二‐八八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「メーン」の意味・読み・例文・類語

メーン(Henry James Sumner Maine)

[1822~1888]英国の法学者。英国歴史法学派の創始者。法学研究に歴史的・比較法学的方法を導入。「身分から契約へ」の言葉でも知られる。著「古代法」など。

メーン(main)

《「メイン」とも》主要なもの。最も重要な部分。「メーンの会場」「若手がメーンの職場」
[類語]主に主たる

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版 「メーン」の意味・わかりやすい解説

メーン【Henry James Sumner Maine】

1822‐88
イギリスの法学者。ケンブリッジ大学卒業後,同大学ローマ法講座教授(1847‐54)。この間1850年に弁護士資格をとり,62‐69年の間インド総督評議会法律委員としてインド法の法典化に参画,69‐78年オックスフォード大学法理学教授,71‐88年インド大臣評議会成員,87‐88年ケンブリッジ大学国際法講座教授等を歴任。メーンの学風にはサビニーを代表とするドイツ歴史法学派とダーウィンの進化論の影響が強く見られ,法や社会を理解するために歴史を強調するとともに,理論を史料によって基礎づけようとした点に特徴がある。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のメーンの言及

【家族】より

…しかしその後の人類学者の研究の結果,彼の学説には否定的見解が多く出されている。 家族についての先駆的研究としては,これ以前に代表的なものとしてバッハオーフェン《母権論》,H.J.S.メーン《古代法》(ともに1861),フュステル・ド・クーランジュ《古代都市》(1864)が挙げられよう。《母権論》は,原初的雑交Hetärismus期に次いで母権制あるいは女人政治制Gynaikokratieを想定し,父権制に先行するものとした。…

【古代法】より

…イギリスの歴史法学派の祖とされるH.J.S.メーンが1861年に公刊した主著。その正式名は《古代法,その初期社会史とのつながりおよび近代諸観念との関連》である。…

【法社会学】より

… また異質な社会との接触も,その社会と法の総体的把握の必要性を感じさせた。イギリスのH.J.S.メーンB.K.マリノフスキー,アメリカのR.ベネディクトの仕事はその例であるが,これらは植民地統治や占領の必要と結びついていた。 以上に対して,近代資本主義社会自体を批判するマルクス主義に基づく法の総体的分析も,法社会学の潮流の一つをなしている。…

※「メーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

ボソン

ボース統計に従う粒子。ボース粒子ともいう。スピンが整数の素粒子や複合粒子はボソンであり,光子,すべての中間子,および偶数個の核子からなる原子核などがその例である。またフォノンやプラズモンのような準粒子...

ボソンの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android