メーリケ
めーりけ
Eduard Mörike
(1804―1875)
ドイツの詩人。ルートウィヒスブルク生まれ。ウーラッハ僧院学校を経て1822~26年チュービンゲン大学神学寮で学んだ。バイプリンガー(ヴァイプリンガー)との友情、神秘的な放浪女マリア・マイアーとの「ペレグリーナ」体験(チュービンゲン大学時代、彼女との恋愛は『ペレグリーナ詩編』に苦い経験として歌われている)、神学者D・F・シュトラウスや美学者F・T・フィッシャーとの友情を得、数年間代牧師で諸村を遍歴、34年クレーフェルズルツバハ村の牧師となった。43年恩給付き退職をするまでに、『詩集』(1838)を刊行し、すでに青春の総決算である小説『画家ノルテン』(1832)で文名を得ていた。44年メルゲントハイムでマルガレーテ・フォン・シュペートと結婚し二女を得たが、73年別居した。66年からシュトゥットガルトを離れ田舎(いなか)に住んだ。民謡調の素朴で高雅な、ユーモアのある叙情詩は近代詩の清冽(せいれつ)な泉となり、節度と形式感覚を尊ぶ古典的詩形によって新古典主義的調和をみせている。『ボーデン湖畔の牧歌』(1846)、童話『シュトゥットガルトの侏儒(こびと)』(1853)のほか、ドイツ芸術家小説の珠玉の作品『旅の日のモーツァルト』(1856)で広く親しまれており、国際的な評価も高い。
[宮下健三]
『『世界文学大系79 メーリケ・ケラー篇』(1964・筑摩書房)』▽『宮下健三訳『旅の日のモーツァルト』(岩波文庫)』▽『宮下健三著『メーリケ研究』(1981・南江堂)』
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メーリケ
Mörike, Eduard Friedrich
[生]1804.9.8. ルートウィヒスブルク
[没]1875.6.4. シュツットガルト
ドイツの詩人。テュービンゲン大学で神学を学んだのち聖職についた。第一級の抒情詩人で,その『詩集』 Gedichte (1838) は牧歌的民謡調のものから深い精神性を宿すものまで多様な詩を含み,豊かな音楽性と確かな造形性,あたたかな心情ときびしい形式美追求を示している。内面にはデモーニッシュな深淵を秘めていたが,節度とユーモアでそれを抑制し,一見のどかで静観的な生涯をおくった。モーツァルトとゲーテを敬愛したが,前者の典雅と後者の調和こそ彼の小世界を特徴づけるものである。自伝的な要素の強い小説『画家ノルテン』 Maler Nolten (32) ,短編『プラハへの旅のモーツァルト』 Mozart auf der Reise nach Prag (56) などのほか,童話『シュツットガルトのしわくちゃ親爺』 Das Stuttgarter Hutzelmännlein (53) も有名。
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メーリケ
ドイツの詩人。牧師,のちには教師をしながら自己の内面世界に没入,すぐれた抒情詩を残した。多くは《詩集》(1838年)に収められ,外界のかすかな動きをとらえ深い内容を表現している。長編小説《画家ノルテン》や短編《プラハへの旅路のモーツァルト》などにも詩人的天分がうかがわれる。
→関連項目ウォルフ
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デジタル大辞泉
「メーリケ」の意味・読み・例文・類語
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メーリケ
(Eduard Mörike エドゥアルト━) ドイツの詩人、小説家。音楽性に富んだ民謡調の詩を書いた。作品に「ペレグリーナ詩編」、小説「画家ノルテン」などがある。(一八〇四‐七五)
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メーリケ【Eduard Mörike】
1804‐75
ドイツの詩人。シュワーベンに生まれ,プロテスタントの牧師,後には女学校の教師を務め,一応さしたる風波も立たない平凡な一生を過ごし,一部からは片隅につつましく生きる牧歌詩人のように見られもした。たしかに故郷の南ドイツの地方色に濃く染められた,一見していかにものどかな感じの物語詩《ボーデン湖の牧歌》(1846),童話《シュトゥットガルトの皺くちゃ爺》(1853)などの作からは,そう見られてしかるべき特性がうかがわれる。
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