メーテルリンク(読み)めーてるりんく(英語表記)Maurice Maeterlinck

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーテルリンク」の意味・わかりやすい解説

メーテルリンク
めーてるりんく
Maurice Maeterlinck
(1862―1949)

ベルギーのフランス語詩人劇作家、エッセイスト。ガン(ヘント)に生まれ育ち、最初写実的な短編小説を発表するが、1885年から一時パリに滞在したおりビリエ・ド・リラダンの示唆を受け、神秘主義の道を歩むようになった。ガンに戻ってから詩作や劇作、中世フランドルの神秘家リュイズブロークの仏訳に励み、89年には詩集温室』、処女戯曲『マレーヌ王女』Princesse Maleineを上梓(じょうし)、前者ではデカダン的な衰退精神と神の恩寵(おんちょう)によるその超克を、後者では運命の犠牲となる無辜(むこ)の王女の姿を描き出した。とくに後者はオクターブ・ミルボーの目に留まり、シェークスピアの再来と激賞された。またこの運命のもたらす悲劇という主題は1890年代のすべての戯曲に共通し、なかんずく92年の『ペレアスとメリザンド』は今日なおドビュッシーのオペラとして上演されている。ほかに『闖入者(ちんにゅうしゃ)』(1890)、『盲人達(たち)』(1891)、『室内』『タンタジルの死』『アラディーヌとパロミッド』(ともに1894)などがある。96年にはノバーリス、エマソンらの影響下に『つつましき者達の宝』(『貧者の宝』)を書き、彼岸の秩序を認識し運命を克服する人間智(ち)を説いた。20世紀に入ると劇風は一変し、写実的になる一方、愛と希望や自然界の神秘を探る主題へと関心を転じた(『蜜蜂(みつばち)の生活』〈1901〉、『蟻(あり)の生活』〈1926〉など)。多数の戯曲のほか人類愛の立場から多くのエッセイも残した。1908年には名高い児童劇『青い鳥』を発表している。11年ノーベル文学賞受賞

[遠山博雄]

『杉本秀太郎訳『ペレアスとメリザンド』(1978・湯川書房)』『片山敏彦訳『貧者の宝』(新潮文庫)』『倉智恒夫訳『室内』(1984・国書刊行会)』『田中義廣訳『蟻の生活』(1981・工作舎)』『尾崎和郎訳『白蟻の生活』(1981・工作舎)』『山下知夫・橋本綱訳『蜜蜂の生活』(1981・工作舎)』

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百科事典マイペディア 「メーテルリンク」の意味・わかりやすい解説

メーテルリンク

ベルギーの劇作家,詩人。メーテルランクとも。ヘントに生まれ,のちパリに定住。フランス象徴派(象徴主義)の影響を受けて詩作。劇作においては《マレーヌ姫》(1889年)が最初。以後,ドビュッシーがオペラ化した《ペレアスとメリザンド》(1893年)や《モンナ・バンナ》(1902年),《青い鳥》など,神秘的な内容を劇に具象化した多くの象徴劇を書いた。《蜜蜂の生活》(1901年)などのエッセーも知られる。1911年ノーベル文学賞。
→関連項目デュカースブーランジェペレアスとメリザンドワフタンゴフ

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精選版 日本国語大辞典 「メーテルリンク」の意味・読み・例文・類語

メーテルリンク

(Maurice Maeterlink モーリス━) ベルギーの劇作家・詩人・思想家。フランスの象徴派詩人の影響下に、死や霊魂の神秘主義的な傾向の詩や劇や童話を書いた。代表作に詩集「温室」、戯曲「ペレアスとメリザンド」、童話劇「青い鳥」。一九一一年ノーベル文学賞を受賞。(一八六二‐一九四九

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旺文社世界史事典 三訂版 「メーテルリンク」の解説

メーテルリンク
Maurice Maeterlinck

1862〜1949
ベルギーの詩人・劇作家
弁護士となったが,1886年パリに出て,神秘的な象徴主義の作品で名声を得た。代表作『青い鳥』。1911年ノーベル文学賞を受賞。

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デジタル大辞泉 「メーテルリンク」の意味・読み・例文・類語

メーテルリンク(Maurice Maeterlinck)

[1862~1949]ベルギーの詩人・劇作家。象徴主義演劇に新生面を開いた。1911年ノーベル文学賞受賞。詩集「温室」、戯曲「ペレアスとメリザンド」「青い鳥」など。

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世界大百科事典 第2版 「メーテルリンク」の意味・わかりやすい解説

メーテルリンク【Maurice Maeterlinck】

1862‐1949
ベルギーの詩人,劇作家。マーテルリンクあるいはマーテルランクともよばれる。1886年パリに出てバン・レルベルグらとともに《ラ・プレイヤード》誌に拠って詩壇に登場,89年には詩集《温室》を発表するが,彼の本領はむしろ劇作にあり,象徴主義悲劇の創造を目ざした。《闖入者》(1890),《盲人たち》(1891)上演ののち,1893年に発表した《ペレアスとメリザンド》がドビュッシー作曲の歌劇として成功を博して,彼の劇作家としての地位を決定づけた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーテルリンク」の意味・わかりやすい解説

メーテルリンク

メーテルランク」のページをご覧ください。

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世界大百科事典内のメーテルリンクの言及

【児童文学】より

…少年小説の古典《二年間の休暇(十五少年漂流記)》(1888)も彼の手になる。 20世紀にはいるとベルギーの詩人M.メーテルリンクが童話劇《青い鳥》(1908)を書き,1932年にはC.ビルドラックが《ライオンの眼鏡》を生んだ。同じころのショボーL.Chauveauは子どもの酷薄さと向きあった作家である。…

【ペレアスとメリザンド】より

…A.ベルクの《ウォツェック》や《ルル》と並ぶ20世紀最大のオペラ作品の一つである。台本はメーテルリンクの同名の戯曲で,フランス象徴主義演劇の代表作とされるこの戯曲の上演を1893年に見たドビュッシーは,すぐに作曲に着手した。95年10月にメーテルリンクに会って作曲の許可を得,1902年,〈5幕12場からなるドラム・リリック〉を完成した。…

※「メーテルリンク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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