メーテルリンク(読み)めーてるりんく(英語表記)Maurice Maeterlinck

精選版 日本国語大辞典 「メーテルリンク」の意味・読み・例文・類語

メーテルリンク

(Maurice Maeterlink モーリス━) ベルギー劇作家詩人・思想家。フランスの象徴派詩人の影響下に、死や霊魂神秘主義的な傾向の詩や劇や童話を書いた。代表作詩集温室」、戯曲「ペレアスとメリザンド」、童話劇青い鳥」。一九一一年ノーベル文学賞を受賞。(一八六二‐一九四九

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デジタル大辞泉 「メーテルリンク」の意味・読み・例文・類語

メーテルリンク(Maurice Maeterlinck)

[1862~1949]ベルギーの詩人・劇作家。象徴主義演劇に新生面を開いた。1911年ノーベル文学賞受賞。詩集「温室」、戯曲「ペレアスとメリザンド」「青い鳥」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーテルリンク」の意味・わかりやすい解説

メーテルリンク
めーてるりんく
Maurice Maeterlinck
(1862―1949)

ベルギーのフランス語詩人、劇作家、エッセイスト。ガン(ヘント)に生まれ育ち、最初写実的な短編小説を発表するが、1885年から一時パリに滞在したおりビリエ・ド・リラダンの示唆を受け、神秘主義の道を歩むようになった。ガンに戻ってから詩作や劇作、中世フランドルの神秘家リュイズブロークの仏訳に励み、89年には詩集『温室』、処女戯曲『マレーヌ王女』Princesse Maleineを上梓(じょうし)、前者ではデカダン的な衰退精神と神の恩寵(おんちょう)によるその超克を、後者では運命の犠牲となる無辜(むこ)の王女の姿を描き出した。とくに後者はオクターブ・ミルボーの目に留まり、シェークスピア再来と激賞された。またこの運命のもたらす悲劇という主題は1890年代のすべての戯曲に共通し、なかんずく92年の『ペレアスとメリザンド』は今日なおドビュッシーのオペラとして上演されている。ほかに『闖入者(ちんにゅうしゃ)』(1890)、『盲人達(たち)』(1891)、『室内』『タンタジルの死』『アラディーヌとパロミッド』(ともに1894)などがある。96年にはノバーリス、エマソンらの影響下に『つつましき者達の宝』(『貧者の宝』)を書き、彼岸秩序を認識し運命を克服する人間智(ち)を説いた。20世紀に入ると劇風は一変し、写実的になる一方、愛と希望や自然界の神秘を探る主題へと関心を転じた(『蜜蜂(みつばち)の生活』〈1901〉、『蟻(あり)の生活』〈1926〉など)。多数の戯曲のほか人類愛の立場から多くのエッセイも残した。1908年には名高い児童劇『青い鳥』を発表している。11年ノーベル文学賞受賞。

[遠山博雄]

『杉本秀太郎訳『ペレアスとメリザンド』(1978・湯川書房)』『片山敏彦訳『貧者の宝』(新潮文庫)』『倉智恒夫訳『室内』(1984・国書刊行会)』『田中義廣訳『蟻の生活』(1981・工作舎)』『尾崎和郎訳『白蟻の生活』(1981・工作舎)』『山下知夫・橋本綱訳『蜜蜂の生活』(1981・工作舎)』

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改訂新版 世界大百科事典 「メーテルリンク」の意味・わかりやすい解説

メーテルリンク
Maurice Maeterlinck
生没年:1862-1949

ベルギーの詩人,劇作家。マーテルリンクあるいはマーテルランクともよばれる。1886年パリに出てバン・レルベルグらとともに《ラ・プレイヤード》誌に拠って詩壇に登場,89年には詩集《温室》を発表するが,彼の本領はむしろ劇作にあり,象徴主義悲劇の創造を目ざした。《闖入者》(1890),《盲人たち》(1891)上演ののち,1893年に発表した《ペレアスとメリザンド》がドビュッシー作曲の歌劇として成功を博して,彼の劇作家としての地位を決定づけた。彼の作品はいずれも,運命の糸に操られる人間の悲劇を神秘的な雰囲気の中に暗示的に描き出すのを特質とするが,これがリアリズム演劇にはない新風と世人に評価されて,世界各国の劇団が彼の作品を競って上演するようになった。《モンナ・バンナ》(1902)は作者円熟の傑作だが,《青い鳥》(1908初演,モスクワ芸術座)にいたって従来のペシミスティックな作風が完全に克服され,〈幸福は手の届くところにある。それは他人を幸福にすることだ〉と訓(おし)えるこの童話的夢幻劇は,最も有名な作品となった。日本では1920年,畑中蓼波の民衆座によって初演された。彼の最後の劇作は第1次世界大戦中に執筆された《スチルモンドの市長》(1919)だが,ここには象徴主義をかなぐり捨て,手堅いリアリズムの手法で,ドイツ軍に踏みにじられたベルギーの悲劇を世界に訴えようとする作者の姿がある。なお,彼はエッセイストとして,《貧者の宝》(1896),《知恵と運命》(1898)のほか,昆虫の世界を詩人の目で観察し記録した《蜜蜂の生活》(1901),《蟻の生活》(1930)などの著作を残している。
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百科事典マイペディア 「メーテルリンク」の意味・わかりやすい解説

メーテルリンク

ベルギーの劇作家,詩人。メーテルランクとも。ヘントに生まれ,のちパリに定住。フランス象徴派(象徴主義)の影響を受けて詩作。劇作においては《マレーヌ姫》(1889年)が最初。以後,ドビュッシーがオペラ化した《ペレアスとメリザンド》(1893年)や《モンナ・バンナ》(1902年),《青い鳥》など,神秘的な内容を劇に具象化した多くの象徴劇を書いた。《蜜蜂の生活》(1901年)などのエッセーも知られる。1911年ノーベル文学賞。
→関連項目デュカースブーランジェペレアスとメリザンドワフタンゴフ

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旺文社世界史事典 三訂版 「メーテルリンク」の解説

メーテルリンク
Maurice Maeterlinck

1862〜1949
ベルギーの詩人・劇作家
弁護士となったが,1886年パリに出て,神秘的な象徴主義の作品で名声を得た。代表作『青い鳥』。1911年ノーベル文学賞を受賞。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーテルリンク」の意味・わかりやすい解説

メーテルリンク

メーテルランク」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のメーテルリンクの言及

【児童文学】より

…少年小説の古典《二年間の休暇(十五少年漂流記)》(1888)も彼の手になる。 20世紀にはいるとベルギーの詩人M.メーテルリンクが童話劇《青い鳥》(1908)を書き,1932年にはC.ビルドラックが《ライオンの眼鏡》を生んだ。同じころのショボーL.Chauveauは子どもの酷薄さと向きあった作家である。…

【ペレアスとメリザンド】より

…A.ベルクの《ウォツェック》や《ルル》と並ぶ20世紀最大のオペラ作品の一つである。台本はメーテルリンクの同名の戯曲で,フランス象徴主義演劇の代表作とされるこの戯曲の上演を1893年に見たドビュッシーは,すぐに作曲に着手した。95年10月にメーテルリンクに会って作曲の許可を得,1902年,〈5幕12場からなるドラム・リリック〉を完成した。…

※「メーテルリンク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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