ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムーア」の意味・わかりやすい解説
ムーア
Moore, Gordon
アメリカ合衆国の科学者・技術者で,世界最大の半導体メーカー,インテルの共同創業者。フルネーム Gordon E. Moore。カリフォルニア大学バークリー校,カリフォルニア工科大学大学院を経て,1953年ジョンズ・ホプキンズ大学応用物理学研究所研究員に就任。1956年,トランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞したウィリアム・ブラッドフォード・ショクリー教授の誘いで,シリコンバレーのパロアルトに開設されたショクリー半導体研究所に加わった。同僚ら 8人で 1957年に独立しフェアチャイルドセミコンダクターを設立。ロバート・ノイスとともに集積回路 ICの開発に成功した。1968年ノイスとともにインテルをシリコンバレーのサンタクララに創設。副社長(1968~75),社長(1975~79),最高経営責任者 CEO(1975~87),取締役会長(1979~97)を経て,名誉会長。インテルはコンピュータの情報を処理するマイクロプロセッサの開発・生産で急成長し,世界最大手の半導体メーカーとなった。1965年に "Electronics"誌で,半導体の処理能力(集積度)は 1年で倍増すると予測した(1975年には 2年で倍増と修正)。この指摘は「ムーアの法則」として知られ,実際に 1961年からの 40年間で 1年半ごとに倍増してきたことが立証されている。
ムーア
Moore, Henry
[没]1986.8.31. ハーフォードシャー,マッチハダム
イギリスの彫刻家。炭鉱労働者の子として生れ,第1次世界大戦に従軍し,退役後彫刻家を志し,1919~21年リーズ美術学校,21~24年ロンドンのロイヤル・アカデミーに学ぶ。この間,大英博物館の原始彫刻,古代彫刻に強い影響を受けた。 29年メキシコの雨の神チャック・モールに示唆を受けて最初の『横たわる人』を制作,これは以来ムーアの重要なモチーフとなった。 25年奨学金を得てフランス,イタリアに遊学。 25~32年ロイヤル・アカデミー講師。 28年ロンドンで最初の個展。 32~39年チェルシー美術学校講師。 1930年代ハンプステッドに住み,B.ニコルソン,B.ヘップワース,リードらの前衛芸術家と交わり,作品の抽象化が進んだ。 40年ロンドン郊外のマッチハダムに移住。第2次世界大戦中,従軍芸術家としてロンドンの地下鉄での市民の避難風景を描き,再び具象性を回復し岩や木の根を思わせる人体像を制作。戦後各地の国際展で受賞し,大規模な回顧展も開催され世界的名声を得た。モニュメンタルな構築性となめらかな起伏を伴う有機的輪郭線が特色である。主要作品『北風』 (1928,ロンドン地下鉄本部) ,『聖母子』 (43~44,ノッティンガム,セント・マシュー聖堂) 。
ムーア
Moore, Grace
[没]1947.1.26. デンマーク,コペンハーゲン
アメリカ合衆国のオペラ歌手,女優。フルネーム Mary Willie Grace Moore。オペラ界と映画界で人気を博し,批評家にも高く評価された。メリーランド州チェビーチェイスの音楽学校に在学中の 1919年,ワシントンD.C.のナショナル・シアターで開かれたリサイタルに出演し,初めて公の場で歌声を披露。その後,学校を中退してニューヨークに移り住み,ナイトクラブで歌手として働きながらレッスンを受けた。1920年にブロードウェーでデビューしたのち,オペラの修業を積むためフランスに渡る。1927年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の所属歌手となった。1930年ハリウッドに進出し,『恋の一夜』One Night of Love(1934)で主役に抜擢。フルオーケストラを従えたオペラの収録という先駆的な試みにより大ヒットを記録した。他の出演作に『陽気な姫君』The King Steps Out(1936),『間奏楽』When You're in Love(1937)などがある。1947年,コペンハーゲンで行なわれた公演の帰路に飛行機事故で死亡した。
ムーア
Moore, George Edward
[没]1958.10.24. ケンブリッジ
イギリスの哲学者。ケンブリッジ大学教授 (1925~39) として,また哲学雑誌『マインド』の編集主幹 (21~47) としてイギリス哲学界における主導的役割を果した。 1903年『倫理学原理』 Principia Ethicaおよび『観念論の論駁』 The Refutation of Idealismを発表,この2作は当時のイギリス哲学界に流行していたヘーゲル主義的,カント主義的観念論を批判したもので,新実在論と呼ばれるムーア自身の哲学の出発点であった。彼は体系的哲学を否定し,言語分析あるいは論理分析により哲学上の諸問題に光を当てて,さらに新しい問題を発見してゆくという分析的方法を主張した。主著『哲学研究』 Philosophical Studies (22) ,『常識の擁護』A Defense of Common Sense (25) ,『哲学の主要問題』 Some Main Problems of Philosophy (53) など。
ムーア
Moore, Marianne Craig
[没]1972.2.5. ニューヨーク
アメリカの女流詩人。ブリン・モー・カレッジ卒業後,教職についたりしながら,『詩集』 Poems (1921) ,『観察』 Observations (24) を発表。 1925~29年文芸誌『ダイアル』の編集にたずさわり,29年以後ニューヨークに移って文筆活動に専念し,多くの詩集を出した。なかでも『詩選集』 Selected Poems (35) と『全詩集』 Collected Poems (51) には T.S.エリオットが序文を寄せ,後者はピュリッツァー賞をはじめ文学賞を独占した。知性と機知とで対象を的確にとらえる詩風で,客観主義の詩人といわれる。ほかにラ・フォンテーヌの『寓話詩』の韻文訳"The Fables of La Fontaine" (54) ,評論集『偏愛』 Predilections (55) などがあり,68年にはその後の作品を含む『全詩集』 Complete Poemsが出た。
ムーア
Moore, Henry Ludwell
[没]1958
アメリカの経済学者。ジョーンズ・ホプキンズ大学で学位を取得し,1896年同大学講師,スミス・カレッジを経て 1902年コロンビア大学教授。計量経済学の先駆者の一人であり,賃金論や景気変動論でもすぐれた貢献をし,部分均衡理論に基づく個別的需要関数の統計的導出を初めて行なった。しかし彼を著名にしたのは主著『総合経済学』 Synthetic Economics (1929) で,従来の経済学が概して経済変数間の関数関係を抽象的解明にとどめていたのに対し,関数関係を統計的実証的に計測し,理論と実証との結合による総合的な経済学の確立を目指した点で世界の経済界に大きな影響を与えた。ほかに"Law of Wages" (11) ,『経済循環期の統計的研究』 Economic Cycles: Their Law and Cause (14) ,"Forecasting the Yield and Price of Cotton" (17) などがある。
ムーア
Moore, George (Augustus)
[没]1933.1.21. ロンドン
アイルランドの小説家。父は国会議員。パリで文学者や画家のグループと交わり,フランス自然主義文学,特にゾラの影響を受けた小説をもってロンドンの文壇に登場。その後しばらく故国に定住,イェーツ,グレゴリー夫人らに協力してアイルランド文芸復興運動に参加したが,晩年はロンドンに戻った。代表作は『旅役者の妻』A Mummer's Wife (1885) ,『エスター・ウォーターズ』 Esther Waters (94) など。ほかに『一青年の告白』 Confessions of a Young Man (88) ,『わが死せる生活の回想』 Memoirs of My Dead Life (1906) などの一連の自伝や歴史小説がある。
ムーア
Moore, Charles Willard
[没]1993.12.16. テキサス,オースティン
アメリカの建築家。 1947年ミシガン大学を卒業後,プリンストン大学大学院で建築を学んだ。エール大学建築学部長を務めるなど,アメリカの多くの大学で教鞭をとる。 1962年に北カリフォルニアに週末共同住宅シーランチを設計。 24フィートを基本とする立方体群に片流れの屋根をかけた 10戸の住宅が中庭を取囲む緊密な形態で一躍注目を集めた。その後は R.ベンチューリとともにポスト・モダン建築の主導者として活躍。代表作に各種の歴史的モチーフをふんだんに引用したイタリア広場 (1978,ニューオーリンズ) の設計がある。 1991年,アメリカ建築家協会賞受賞。
ムーア
Moore, Thomas
[没]1852.2.25. ウィルトシャー,デバイジス
アイルランドの詩人。アイルランド古謡の調べに合せて作詞した抒情詩集『アイルランド歌曲集』 Irish Melodies (1807~35) によって,アイルランドの国民詩人と称された。ほかに東洋的な物語詩『ララ・ルーク』 Lalla Rookh (17) ,摂政の宮に対する風刺詩『2ペンスの郵便行嚢』 The Twopenny Post-Bag (13) ,愉快な書簡詩『パリのファッジ家』 The Fudge Family in Paris (18) などがある。またシェリダン,バイロンの伝記を書いた。
ムーア
Moore, Sir John
[没]1809.1.16. コルニア
イギリスの軍人。アメリカ独立戦争に参加したのち,一時下院議員をつとめた。 1796年西インド諸島,97~99年アイルランドで軍務につく。 1801年 R.アバークロンビー指揮下のエジプト遠征に参加。 08年イベリア半島に任地が移り,同地区のイギリス軍司令官に昇進したが,当地のフランス軍優勢のため,アストルガからコルニアまで退却し,コルニアでフランス軍と戦ったが,イギリス軍の勝利を目前にして戦死した。
ムーア
Moore, Gerald
[没]1987.3.13. バッキンガムシャー
イギリスのピアニスト。現代最高の伴奏ピアニストとして世界的に知られた。特にディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ,エリザベス・シュワルツコフの伴奏者として知られ,従来の伴奏の域をこえた音楽をつくりだした。一方室内楽奏者としても知られた。1967年引退。著書に『伴奏者の発言』The Unashamed Accompanistなどがある。
ムーア
Moore, Stanford
[没]1982.8.23. ニューヨーク
アメリカの生化学者。 1938年ウィスコンシン大学で学位取得。ロックフェラー研究所医学部門研究員 (1939) ,ロックフェラー大学教授 (52) 。各種蛋白質から得られるアミノ酸,ペプチド類のクロマトグラフィーによる分析,特にリボヌクレアーゼの構造決定で知られる。 72年 C.B.アンフィンセン,W.H.スタインとともにノーベル化学賞を受賞した。
ムーア
Moore, Edward
[没]1757
イギリスの劇作家。喜劇『ジル・ブラス』 Gil Blass (1751) ,悲劇『ばくち打ち』 Gamester (53) の作者。いずれもドルアリー・レーン劇場で上演された。
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