ムンク(Edvard Munch)(読み)むんく(英語表記)Edvard Munch

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ムンク(Edvard Munch)
むんく
Edvard Munch
(1863―1944)

ノルウェー画家版画家。12月12日、レーイテンの医師の子として生まれる。父はかなり異常な性格の人であり、早く母と姉を結核で失い、彼自身も病弱であった。こうした環境と肉体が、彼の精神と作風に大きく影響している。1881~84年オスロの美術学校に学び、急進的なグループに影響された。初期の油絵『病める少女』(1885~86、オスロ国立美術館)にみる生と死への凝視が、その後の彼の作品を一貫して流れる基調になっている。89年、一夏を海村で過ごして、神秘な夜の不安をとらえた『星の夜』『白夜』などを描いた。

 1890年パリに出てからは、レオン・ボナのアトリエに入る。日本の木版画に魅せられ、ピサロロートレック、さらにゴーギャンゴッホにも魅せられた。92年の秋、ベルリン美術協会展に招かれて出品したが、初期の哀愁をたたえた叙情的なものをいよいよ内面化し、生と死を、愛と官能を、恐怖と憂愁を、強烈な色彩のもとに描出した彼の画風は、多くの物議を醸した。しかもこのベルリンでのストリンドベリとの出会いは、いっそうその画風を深める結果となった。その後、パリでマラルメらと交わり、またイプセンを知り、作品としては『叫び』(1893、オスロ国立美術館。象徴主義)を含む、のちに『生(せい)のフリーズ』に取り入れられる連作を完成させた。94年から版画を始め、絵画と同様のモチーフを繰り返して扱っている。

 1908~09年の神経病を経て、色彩は明るくなり、文学的・心理的情感がますます著しくなった。15年オスロ大学の壁画を完成。37年、ナチスはドイツにある彼の作品いっさいを退廃芸術として没収した。晩年は世間を避けるように生活し、ナチス占領下の44年1月23日、孤独のうちにオスロに没した。代表作は前記のほか『春』『嫉妬(しっと)』『橋の上』『思春期』など。また版画家としても近代の大家であり、表現主義絵画の先駆として、近年いよいよその声価は高まり、1963年には生誕100年を記念して、オスロに市立のムンク美術館も開設された。

[嘉門安雄]

『土方定一監修『ムンク画集』(1971・筑摩書房)』『J・P・フーディン著、湊典子訳『エドヴァルド・ムンク』(1986・パルコ出版)』『T・メサー著、匠秀夫訳『ムンク』(1974・美術出版社)』『R・ヘラー著、佐藤節子訳『アート・イン・コンテクスト7 ムンク/叫び』(1981・みすず書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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