出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内のムルタトゥーリの言及
【オランダ】より
…とはいえ,イギリス,ドイツ,フランスのような文化大国に囲まれてそれらの影響下にあったことは否定できない。1860年,E.ダウエス・デッケルがムルタトゥーリの筆名で《マックス・ハーフェラール》を発表して東インド植民地における過酷な搾取の実態を批判して衝撃を与え,85年詩人クロース,フェルウェー,批評家L.ファン・デイッセルらが《新道標Nieuwe Gids》を創刊して新文学建設の旗手になった。〈80年代の運動〉と呼ばれる文芸復興以後,100年の間オランダは優れた詩人,散文作家,劇作家を多数輩出したが,残念ながらオランダ語という言語の壁に阻まれて作家も作品も国際的な知名度は高くない。…
【オランダ文学】より
…
[19~20世紀]
1837年ポットヒーテルにより,自由主義に基づく国民文学の振興を旗じるしに《道標Gids》誌が創刊されると,民族的ロマン主義運動が盛んになり,ボスボーム・トゥサーン夫人Anna L.G.Bosboom‐Toussaint(1812‐86)が三部作《レスター伯》(1846‐55),《デルフトの呪術師》(1870)などの優れた歴史小説を書いた。一方,ベーツは写実的ユーモア小説の傑作《カメラ・オブスキュラ》(1839)を書き,またムルタトゥーリは自国の植民政策の非人道性を告発した小説《マックス・ハーフェラール》(1860)を発表し,その熱情的理想主義と斬新なスタイルは近代オランダ文学に絶大な影響を与えた。19世紀後半におけるオランダ社会の急速な近代化と自由主義の伸展に呼応して,文壇に新風を吹きこんだのが〈80年代派Tachtigers〉と呼ばれるクロース,フェルウェー,エーデン,ホルテルらを中心とする若い詩人たちである。…
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