ムラサキ(読み)むらさき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムラサキ」の意味・わかりやすい解説

ムラサキ
むらさき / 紫
[学] Lithospermum erythrorhizon Sieb. et Zucc.

ムラサキ科(APG分類:ムラサキ科)の多年草。草丈は30~60センチメートル。葉は互生し披針(ひしん)形で、縁(へり)に鋸歯(きょし)はない。茎や葉には短毛が多く生える。夏に枝先の包葉ごとに、ウメに似た小さい白色花をつける。雄しべは5本。果実は球形で径2~3ミリメートル、白、淡褐色。根は太い直根で長さ約10センチメートル、径約2センチメートルの直根からひげ根が多く生える。日当りのよい山地、原野などに生え、北海道から九州、朝鮮半島、中国に野生する。

 根をとって乾かすと紫黒色となり、これを紫根(しこん)と称し、古くから紫色の染料として紫根染めに用いられ、また、薬用にも供された。天平(てんぴょう)時代にはすでに各地で栽培も行われた。江戸時代には奥羽、甲州、総州、播磨(はりま)などが名産地として知られたが、明治以降は東北地方にわずかに残り、現在ではほとんど栽培はなく、野生もほとんどなくなった。

[星川清親 2021年7月16日]

薬用

漢方では根(紫根)を、解熱、解毒、肉芽形成促進剤として、はしか、皮膚病、皮膚潰瘍(かいよう)などの治療に用いる。含有色素はアセチルシコニンなどである。外用軟膏(なんこう)として有名な紫雲膏(しうんこう)(潤肌膏(じゅんきこう))は華岡青洲(はなおかせいしゅう)の創方で、当帰(とうき)(トウキの根)と紫根を主薬とし、火傷凍傷ひびあかぎれ切り傷などの治療に用いる。中国から輸入している軟紫草(なんしそう)(日本では軟紫根という)は新疆(しんきょう)ウイグル自治区に産するシンキョウムラサキグサArnebia euchroma (Royle) Johnst.の根で品質はよい。

[長沢元夫 2021年7月16日]

文化史

『万葉集』には17首に「紫」がみえるが、花を詠んだものはまったくなく、紫色ないしはその染料として用いられた紫草が詠まれている。紫の染色法は、朝鮮を経て伝えられた。『万葉集』巻4で、百済(くだら)系二世の麻田連陽春(あさだのむらじやす)は「韓人(からひと)の衣染(ころもそ)むといふ紫の情(こころ)に染(し)みて思ほゆるかも」と詠んでいる。その染色は、巻12で「紫は灰さすものそ海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢(あ)へる児(こ)や誰(たれ)」と詠まれているように灰で媒染したが、その灰にはツバキが用いられ、市で売られていた。色は灰の量により変化した。その用例が『延喜式(えんぎしき)』にみえる。また七色十三階の冠位の制にも紫の服色が定められている。

 薬としての利用も古く、中国の『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』(500ころ)に名があがる。江戸時代の園芸書『広益地錦抄(こうえきちきんしょう)』(1719)には薬草の項に名を連ねる。ムラサキの栽培はむずかしく花は小さい。いけ花の『替花伝秘書(かわりはなでんひしょ)』(1661)には嫌いなものの一つにあげられている。

[湯浅浩史 2021年7月16日]

文学

紫草、紫。野草の名。また、紫草の根から採取した染料の色名。『万葉集』巻4に「託馬(つくま)野に生ふる紫草衣(きぬ)に染(し)めいまだ着ずして色に出(い)でにけり」(笠女郎(かさのいらつめ))などと詠まれ、巻2に「紫草のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻故(ゆゑ)に我恋ひめやも」(大海人皇子(おおあまのみこ))など、「紫草の」の形で枕詞(まくらことば)にも用いられた。『古今集』雑(ぞう)上の「紫草の一本(ひともと)故に武蔵野(むさしの)の草は皆がらあはれとぞ見る」により、武蔵野の景物とされ、また、「紫のゆかり」、親愛する人の縁故の意として、『伊勢(いせ)物語』や『源氏物語』などに語られ、とりわけ藤壺(ふじつぼ)、紫の上とつながる血筋は『源氏物語』の構想にかかわるものとして、作者紫式部の呼称のゆえんにもなった。紫は袍(ほう)の色にも用いられ、『後撰(ごせん)集』雑1に「思ひきや君が衣を脱ぎ換へて濃き紫の色を着むとは」などとある。また、「紫の雲」は、瑞雲(ずいうん)、来迎(らいごう)の雲、のちには皇后の意に用いられ、『拾遺(しゅうい)集』雑春の「紫の雲とぞ見ゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらむ」(藤原公任(きんとう))のように、藤の花の比喩(ひゆ)にも詠まれた。『枕草子(まくらのそうし)』「めでたきもの」の段には、「花も糸も紙もすべて何も紫なるものはめでたくこそあれ」とある。『徒然草(つれづれぐさ)』238段には、『論語』の「紫の朱(あけ)を奪ふ」、偽物が本物を乱すというたとえがみえる。季題は「若紫」が春、「紫草」が夏。

[小町谷照彦 2021年7月16日]


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改訂新版 世界大百科事典 「ムラサキ」の意味・わかりやすい解説

ムラサキ (紫)
Lithospermum officinale L.ssp.erythrorhizon(Sieb.et Zucc.)Hand.-Mazz.

乾燥した草原に生えるムラサキ科の多年草。古くから栽培され万葉集にも歌われている。茎は直立し,高さ40~90cm。葉は無柄で互生し,長さ3~7cm,幅1~2cm,茎とともに粗い毛がある。花は白色で6~7月に咲き,カタツムリ状花序の下方から上方へ咲き進む。開花がすすむのにともなって,花序の軸は伸長し直立する。花筒は長さ約6mm,先端は5裂して平開する。萼筒は5深裂する。子房は4全裂し,花後四つの分果となる。分果は灰白色で平滑,光沢があり,長さ約3mm。日本全土に分布し,朝鮮半島,中国大陸,アムール地方にも及ぶ。北アメリカ東部に帰化し,荒地の雑草となっている。地下には太い根があり,この根から紫色の染料シコニンshikoninがとれる。紫草染はムラサキの根の滲出液(しんしゆつえき)と灰汁とに,交互に布をつけて行う。染めあがるまで数日を要するが,日光によって退色しやすい。また漢方では根を紫草(しそう)と呼び,干した根から軟こうを作り,やけどや湿疹の治療に用いる。ムラサキ属Lithospermumは約50種を含み,北半球に多い。ムラサキ属のうち日本のムラサキにごく近い数種を英名でgromwellと呼ぶ。

双子葉植物合弁花類。草本または低木。葉はふつう互生で,単葉,全縁である。花は特徴的なカタツムリ状花序につく。花は5数性で,通常放射相称。しばしば副花冠を持つ。花糸は花筒内面に合着する。子房は2室だが,偽隔壁があって4室に見える。各室に1個ずつ計4個の胚珠が上向きにつく。子房基部にはふつう花盤が発達する。果実はふつう4個の分果に分かれる。約100属2000種を含み,世界的に広く分布するが,北半球の寒帯および南極大陸にはない。ハナシノブ科に近縁だが,花部の性質は特殊化がすすんでいる。

 園芸として栽培されるものに,ワスレナグサ,ムラサキ,ルリジサコンフリーヘリオトロープなどがある。コンフリーは蔬菜として食用にされ,長寿の効があると宣伝されて一時話題を呼んだ。ムラサキやルリジサは薬用植物として利用される。ムラサキはまた紫色の染料をとるために利用され,アルカナAlkanna tinctoria Tauschからは紅色の染料をとる。
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百科事典マイペディア 「ムラサキ」の意味・わかりやすい解説

ムラサキ

ムラサキ科の多年草。北海道〜九州の日当りのよい山地に稀にはえる。東アジアにも分布する。根は太く,茎は直立して高さ60cm内外,多数の披針形の葉をつける。茎,葉に粗毛が多い。夏,上方の葉腋に数花をつける。花冠は白色で,径6mm内外,5裂する。根は紫根(しこん)と呼ばれ,かわくと紫色となり,古来染料(シコニン)とされた。

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世界大百科事典(旧版)内のムラサキの言及

【紫根】より

…ムラサキ科の宿根草ムラサキの根による染料の名。は古代から東洋,西洋において高貴の色とされた。…

【武蔵野】より

…関東平野西部に広がる洪積台地の武蔵野台地をいう。北西を入間(いるま)川,北東を荒川,南を多摩川の沖積低地で限られ,西端の関東山地山麓から東端の山手台地まで東西約50kmに及ぶ広大な台地で,数段の段丘面からなり,標高20~190m。沖積地からの比高は10~40mに達している。砂礫層の上に関東ロームと呼ばれる厚い火山灰層がのり,水が乏しいため開発は遅れた。江戸時代に入って神田上水(1591),玉川上水(1654),野火止(のびどめ)用水(1655),千川上水(1696)などが開削され,享保年間(1716‐36)以降しだいに新田開発がすすみ,武蔵野新田が形成されていった。…

※「ムラサキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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