日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムハンマド・アリー朝」の意味・わかりやすい解説
ムハンマド・アリー朝
むはんまどありーちょう
エジプト最後の王朝(1805~1953)。ナポレオン占領期のエジプトへ、オスマン帝国傭兵(ようへい)隊長として派遣されたムハンマド・アリーは、1805年エジプト総督(ワーリー)に任命され、ここにアリー一族によるエジプト支配体制=ムハンマド・アリー朝が成立した。アリーは当初、オスマン帝国支配からの独立ばかりではなく、エジプト帝国づくりにも意を注ぎ、富国強兵・殖産興業政策に取り組み、海外領土拡張を企てたが、40年ヨーロッパ列強の干渉で挫折(ざせつ)した。アリー王朝支配は19世紀後半、対外依存の近代化でエジプトの植民地化に道を開いた。82年アラービーの反乱で、エジプトがイギリスの軍事占領下に入ると、王朝は国民の間で「外国人王朝」の烙印(らくいん)を押され、1952年エジプト革命で打倒され、翌53年エジプト共和国が成立した。
[藤田 進]
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