旺文社世界史事典 三訂版 「ムハンマド=アリー」の解説
ムハンマド=アリー
Muhammad‘Alī
オスマン帝国下のエジプト太守にして,ムハンマド=アリー朝の祖(在任1805〜49)。トルコ語ではメフメト=アリー
マケドニア生まれのアルバニア人。ナポレオンのエジプト遠征による混乱時,オスマン軍の傭兵副隊長として出陣。1805年太守に任じられ,イギリス軍をも撃退して自立し,内政・軍制を改革してエジプトの近代化につとめた。ギリシア独立戦争でオスマン帝国を助けてクレタ島・キプロス島を獲得した。戦後,参戦の代償としてシリアを要求し2度にわたるエジプト−トルコ戦争を闘うが,列国の干渉で失敗した。1840年ロンドン4国条約で太守の地位の世襲制は認められたが,領域をエジプト・スーダンに限定され,完全な独立を獲得できなかった。
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