ムサーワート党(読み)ムサーワートとう(英語表記)Musavat

改訂新版 世界大百科事典 「ムサーワート党」の意味・わかりやすい解説

ムサーワート党 (ムサーワートとう)
Musavat

1911年ロシア帝国のバクーで結成されたアゼルバイジャン民族主義政党。ムサーワートとは〈平等〉の意。1917年以前は〈ムスリム民主党ムサーワート〉といい,実質的には組織政党というより,パン・イスラム主義を唱える機関紙を中心としたグループであった。17年ロシアの二月革命後,〈トルコ族連邦主義者党〉(1917年3月結成)との合同を決定,10月の第1回大会で〈トルコ族連邦主義者民主党ムサーワート〉を名のる。首都の十月革命に対してザカフカスの民族主義諸派とともにティフリス(現,トビリシ)でザカフカス委員部を形成。18年バクーの三月事件でボリシェビキ武力衝突し,敗走する。同年5月ザカフカス共和国の分裂後,ティフリスでアゼルバイジャン共和国の独立を宣言し,6月アゼルバイジャン第2の都市ギャンジャ(ソ連時代はキーロババード)に移る。9月トルコ軍とともにバクー入城,アゼルバイジャン全域を支配下に収める。20年4月ソビエト権力樹立後,指導者は国外に亡命した。
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世界大百科事典(旧版)内のムサーワート党の言及

【アゼルバイジャン】より

…03年のロシア南部のストライキ,第一革命の序曲となった04年のバクー・ゼネスト,第1次大戦前夜の14年ゼネスト等,バクー労働運動は全ロシアの頂点に立つものであり,全国的な高揚の画期をなす重要な役割を演じた。 1917年首都の二月革命の後,各都市にソビエトと社会団体執行委員会(有産諸団体とソビエト諸団体の連立地方権力)が形成され,さらに民族主義党派ムサーワート党(1911結党)を中心とする民族ソビエトも形成された。臨時政府が置いたザカフカス特別委員会は無力であった。…

【アルメニア】より


[革命政権の樹立]
 1917年ロシアの首都ペトログラードでおこった二月革命の後も,アルメニアは基本的にザカフカス全体の動向の枠内にあり,アルメニア人活動家もティフリス,バクーをその場としていた。首都の十月革命に対してダシナクツチュン,グルジア・メンシェビキ,アゼルバイジャンのムサーワート党等の民族主義諸派は17年11月ティフリスでザカフカス委員部を形成した。そしてトルコ軍の侵攻下に18年4月ザカフカス連邦共和国の独立を宣言したが,帝国主義諸列強の干渉の中で内部矛盾を深め,三つの国に分裂,5月ダシナクツチュンはアルメニアの独立を宣言した。…

※「ムサーワート党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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