ミュンシュ

百科事典マイペディア 「ミュンシュ」の意味・わかりやすい解説

ミュンシュ

フランス指揮者。アルザス地方のストラスブール(当時ドイツ領)のドイツ人家系に生まれる。同地の音楽院院長を務めた父のもとで早くから音楽に親しみ,パリ音楽院でカペー(カペー弦楽四重奏団)に,ベルリンでC.フレッシュ〔1873-1944〕にバイオリン師事。1926年−1933年ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団コンサートマスターを務めた。その間フルトベングラーに指揮法を学び,1938年−1946年パリ音楽院管弦楽団の指揮者として活動。1949年−1962年クーセビツキー後任としてボストン交響楽団の首席指揮者を務め,数々の名演を残す。1967年パリ管弦楽団設立とともに音楽監督となるが,同楽団と米国演奏旅行中に客死。ダイナミズムと色彩感にあふれた指揮で知られ,ベルリオーズからオネゲルデュティユーに至るフランス音楽のほか,ドイツ音楽にも見事な解釈を示した。→小澤征爾リパッティ
→関連項目フルトウェングラー

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改訂新版 世界大百科事典 「ミュンシュ」の意味・わかりやすい解説

ミュンシュ
Charles Münch
生没年:1891-1968

フランスの指揮者。生地のストラスブール音楽院でバイオリンを学び,さらにC.フレッシュらに師事。次いでライプチヒ音楽院のバイオリン科教授。1926-33年フルトウェングラー指揮のゲバントハウス管弦楽団のコンサートマスター。33年パリで指揮者としてデビュー。37年よりパリ音楽院管弦楽団を指揮。46年アメリカでデビュー。49-62年ボストン交響楽団の首席指揮者。67年パリ音楽院管弦楽団を改組してパリ管弦楽団を組織,同指揮者を務めた。フランス近代音楽を得意とし,軽快なリズム感と豊かな色彩感に満ちた演奏には定評があった。1960,62,66年来日した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミュンシュ」の意味・わかりやすい解説

ミュンシュ
Munch, Charles

[生]1891.9.26. ストラスブール
[没]1968.11.6. バージニア,リッチモンド
フランスの指揮者。アルザス系の音楽一家に生れ,父はストラスブール音楽院院長,弟フリッツもその跡を継ぎ院長となった。パリとベルリンでバイオリンを学び,ストラスブール音楽院教授を経て,ライプチヒのゲバントハウス管弦楽団のコンサート・マスター。同楽団の指揮者 W.フルトベングラーに指揮を学び,1932年パリでデビュー。 35~38年はパリ・フィルハーモーニー管弦楽団,38~46年はパリ音楽院管弦楽団の指揮者。 49~62年はボストン交響楽団の常任指揮者。ブラームス,ドビュッシー,ラベルの作品を得意とした。 60,62,66年来日。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミュンシュ」の意味・わかりやすい解説

ミュンシュ
みゅんしゅ
Charles Munch
(1891―1968)

フランスの指揮者。生地ストラスブールの音楽院とパリ音楽院でバイオリンを学び、さらにベルリンでカール・フレッシュに師事した。ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団のバイオリン奏者を経て、1929年パリで指揮者としてデビュー。37年パリ音楽院管弦楽団、49年ボストン交響楽団の常任指揮者を経て、67年パリ管弦楽団の初代音楽監督となった。60年(昭和35)ボストン響と初来日。情熱的で重厚な芸風で知られ、構成力を重んじながらも即興性を忘れず、説得力のある演奏を生み出した。

[岩井宏之]

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