マラドーナ(英語表記)Maradona, Diego

デジタル大辞泉 「マラドーナ」の意味・読み・例文・類語

マラドーナ(Diego Armando Maradona)

[1960~2020]アルゼンチンサッカー選手15歳プロとして、16歳でナショナルチーム代表としてデビューワールドカップには4度出場した。神業とも思える高い技術から、20世紀を代表する選手と評される。引退後は、アルゼンチン代表の監督などを務めた。試合内外での逸話が多い。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マラドーナ」の意味・わかりやすい解説

マラドーナ
まらどーな
Diego Armando Maradona
(1960―2020)

アルゼンチンのプロサッカー選手。10月30日、アルゼンチンのラヌース(ブエノス・アイレス州)に生まれる。1986年ワールドカップ・メキシコ大会では、「マラドーナのための大会」といわれるほどのサッカー史上に残る活躍をみせた。準々決勝イングランド戦での伝説的な「5人抜き」「神の手」の2ゴールのほか、数々のマジカルプレーでアルゼンチンを牽引(けんいん)し、優勝を飾った。

 15歳でアルゼンチンリーグにデビュー(アルヘンチノス・ジュニアーズ)以来、神技のような左足のテクニックでファンを魅了し続け、イタリアのナポリでは無冠のクラブに二度のリーグ優勝をもたらした。一方で、麻薬の使用疑惑や1994年ワールドカップ・アメリカ大会ではドーピング検査陽性反応が出るなど、トラブルメーカーでもあった。しかし、2001年に国際サッカー連盟(FIFA)が行ったインターネット投票では、ペレを抜いて史上最高選手に選ばれている。何人でも抜き去るドリブル意表を突くパス、たぐいまれな得点感覚と、どれをとっても天才的であった。2008年11月より2010年7月までアルゼンチン代表監督を務めた。

[西部謙司]

『ジミー・バーンズ著、宮川毅訳『ディエゴ・マラドーナの真実』(1997・ベースボール・マガジン社)』『金子達仁監修『マラドーナ自伝』(2002・幻冬舎)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マラドーナ」の意味・わかりやすい解説

マラドーナ
Maradona, Diego

[生]1960.10.30. ブエノスアイレスラヌス
[没]2020.11.25. ブエノスアイレス,ティグレ
ディエゴ・マラドーナ。アルゼンチンのサッカー選手。フルネーム Diego Armando Maradona。国民からディオス Dios(「神」の意)などと呼ばれ慕われ,その天才的技術とカリスマ性が世界のサッカーファンを魅了した。アルゼンチンリーグ 1部に史上最年少の 15歳でデビュー。代表チームにも 16歳4ヵ月の最年少デビューを果たした。1979年,20歳以下による FIFAワールドユース選手権日本大会でアルゼンチン代表を優勝に導くなど天才の名をほしいままにした。1982年からワールドカップに 4大会連続出場。1986年メキシコ大会準々決勝のイングランド戦では,手でボールをたたく反則でゴールを決めた「神の手」と,自陣から 50m以上をドリブルで突破する奇跡的な「5人抜き」ゴールを演じ,優勝にも貢献した。1990年大会は準優勝。しかし,1991年にコカイン所持容疑で逮捕され,復帰後の 1994年ワールドカップ・アメリカ大会ではドーピング違反で追放された。1997年に引退したのち薬物依存で危篤状態に陥ったこともあり,キューバなどでリハビリ生活を送った。2008~10年アルゼンチン代表監督。その後,アラブ首長国連邦やメキシコのクラブチームで監督を務めた。死後,アルゼンチン政府は 3日間の服喪を決定した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android