マフディー(英語表記)mahdī[アラビア]

改訂新版 世界大百科事典 「マフディー」の意味・わかりやすい解説

マフディー
mahdī[アラビア]

〈導かれた者〉を意味する語。一方で〈神により正しく導かれた者〉という意味にも用いられ,アブラハムムハンマド,アリーほか4人の正統カリフ,アッバース朝カリフナーシルなどがマフディーと呼ばれる。他方,メシアの意味でも用いられ(終末論的マフディー),その初見は過激シーア派カイサーン派ムフタールが,ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤをイマームおよびマフディーとして奉じ,クーファで反乱を起こした時である(ムフタールの乱)。反乱が鎮定され,ムハンマドが700年に没すると,カイサーン派の一部の者はムハンマドは死んだのではなく,一時姿を隠しているにすぎず,やがて地上に再臨して正義と公正とを実現すると説いた。これが,マフディーであるイマームの〈隠れ〉(ガイバghayba)と再臨(ルジューウrujū‘)を特徴とする,シーア派独特の隠れメシア思想の始まりである。

 ウマイヤ朝末期の政治の混乱とともに,人々の間にメシア思想が広がったが,それを巧みに利用したことがアッバース朝革命の成功の理由の一つに挙げられ,サッファーフマンスール,マフディーというアッバース朝最初の3代のカリフのラカブ(カリフ名)にはメシア思想が反映されている。カイサーン派の隠れメシアの観念はシーア派にも受け入れられ,十二イマーム派は第12代目イマームのムハンマド・アルムンタザルが隠れメシアになったと信じ,イスマーイール派は別の隠れイマームの血統を継ぐマフディーが再臨してファーティマ朝を開いたと主張した。イスラムにおける終末論的マフディー思想の伝統は根強く,ムワッヒド運動におけるイブン・トゥーマルトマフディー派運動におけるムハンマド・アフマド,1979年11月のメッカのカーバ襲撃事件におけるカフターニーなど,激しい抗議と抵抗運動の際,しばしばマフディーと称する者が活躍する。
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百科事典マイペディア 「マフディー」の意味・わかりやすい解説

マフディー

〈正しく導かれた者〉を意味するアラビア語。初期イスラムにおける4人の正統カリフなどを呼ぶ場合と,世界の終末に現れて正義を実現する者を呼ぶ場合がある。多くは後者としてメシア救世主)の意味で使われ,イマームの〈隠れ〉と〈再臨〉を特徴とするシーア派独特の思想と結びついた。スンナ派にもメシア思想は見られ,近代以降,終末論的マフディーと称された人物には,スーダンマフディー派の指導者ムハンマド・アフマド,1979年メッカのカーバ神殿占拠事件を起こしたグループが奉じたカフターニーがいる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マフディー」の意味・わかりやすい解説

マフディー
mahdī

アラビア語の語義は,「神によって正しく導かれた者」であるが,イスラムにおける「救世主」,あるいは隠れメシアをさす。特に正統派のスンニー派に対するシーア派独自のイマームをいう。その起源は 685年,第4代カリフ,アリーの子,ムハンマド・イブヌル・ハナフィーヤをマフディーと称して,イラクのシーア派を率いて反乱したムフタールの言動にある (→ムフタールの乱 ) 。ムハンマドが死んだとき,彼らの一部は,彼は死んだのではなく,一時姿を隠したにすぎず,やがて最後の審判の日に再び姿を現し,地上に正義と公正をもたらすであろうと主張した。このイマームの隠れ (ガイバ) と再臨 (ラジュア) が,以後イスラムのメシア思想の特徴となった。しかし,後世になると,イスラム社会における政治・社会革命を遂行しようとする人物がマフディーを自称するようになった。ファーティマ朝の開祖ウバイドゥッラー・アルマフディー,19世紀スーダンに教団国家を建設したマフディー (→ムハンマド・アフマド ) らがその代表的な例である。

マフディー

ムハンマド・アフマド」のページをご覧ください。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マフディー」の解説

マフディー
mahdī

アラビア語で「神により正しく導かれた者」または「終末に正義を復活させるメシア」を意味する。アブラハムムハンマド,4人の正統カリフなどがマフディーと呼ばれるのは前者の例である。しかしイスラーム史で重要なのは後者の意味である。過激シーア派のムフタールが685年アリーの息子,ムハンマドを「待望されたメシア」として奉じて反乱を起こしたのを最初に,アッバース朝革命,ファーティマ朝建国,スーダンのマフディーの乱,1979年のメッカ襲撃事件などでも後者の意味で用いられた。

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世界大百科事典(旧版)内のマフディーの言及

【イラン神話】より

…その3人目,つまり最後の子息が〈真実の化身(アストバト・ウルタ)〉,通常サオシュヤントと呼ばれるこの世の救済者である。このサオシュヤントの概念は,ユダヤ教を通ってキリスト教にその救済者(メシア)像の原型を提供し,さらにイスラムにその〈隠れイマーム(マフディー)〉の理念を与えた。
[終末論]
 アベスターによれば,人の魂は死後〈選別者の橋(チンバトー・プルトゥ)〉で,自分自身のダエーナー(宗教,意識)に迎えられる。…

【シーア派】より

…アリーの子フサインはクーファの民の誘いに応じてクーファに向かうところをウマイヤ朝の軍に包囲されてカルバラーで戦死し,受難の英雄となった。685年ムフタールが,アリーの子ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤをイマームおよびマフディーとして奉じ,ウマイヤ朝に対する反乱(ムフタールの乱)を起こした(カイサーンKaysān派と呼ばれる)。その死後,だれをイマームと認めるかをめぐって内部の分裂が進行した。…

【ディーワーン】より

…たとえば,税務庁は9世紀,全国に私領地(ダイア)が発展してくると私領地庁を分岐させたが,892年,首都がサーマッラーからバグダードに戻ると,これら税務諸官庁をディーワーン・アッダールdīwān al‐dārとして統合,次いで全国の税務行政区を三分して,イラク担当のサワード庁dīwān al‐Sawād,イラン担当の東部庁dīwān al‐mashriq,シリア・エジプト担当の西部庁dīwān al‐maghribを設置,別にカリフ私領地庁を設けて,きめ細かく税務行政が行えるようにし,またディーワーン・アッダールは宰相(ワジール)の官房庁として,各官庁間の調整にあたった。アッバース朝におけるディーワーン制度で特徴的なことは,第3代カリフ,マフディーの時,各ディーワーンに対応して,ディーワーン・アッジマームdīwān al‐zimāmが創設されたことで,これは当該ディーワーンの業務を監督する監査庁を意味し,官吏の業務監察を行った。しかもこれら監査系の諸官庁を統括する最高監査庁も設置され,その長官はカリフによって直接任命された。…

【バグダード】より

…しかも東西を結ぶキャラバン・ルートと南北の河川ルートの交差点にあったから,帝国経済の発展につれてイランや中央アジアから商人や手工業者が来住し,まもなく市街地はティグリス川の西岸から東岸へと拡大していった。第3代カリフ,マフディー(在位775‐785)が東岸に建設した軍隊の駐屯地の周辺にはルサーファRuṣāfa地区が形成され,歴代の宰相を輩出したバルマク家もその北のシャンマーシーヤShammāsīya地区に広大な屋敷を構えていたと伝えられる。市場(スーク)は最初,円城の外壁と内壁とを結ぶ4本のアーケードに沿って置かれていたが,773年円城の治安を維持するために,約2km南のカルフKarkh地区へと移された。…

※「マフディー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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