マヌエル・アントニオ ノリエガ(英語表記)Manuel Antonio Noriega

現代外国人名録2016 の解説

マヌエル・アントニオ ノリエガ
Manuel Antonio Noriega

職業・肩書
政治家,軍人 元パナマ最高実力者,元パナマ国軍最高司令官・将軍

国籍
パナマ

生年月日
1934年2月11日

出生地
パナマ市

本名
Noriega Morena,Manuel Antonio

別名
別称=ノリエガ将軍

学歴
パナマ大学,ペルー陸軍士官学校

経歴
パナマ市内のスラム街に生まれ、5歳で里子に出された。精神科医を目指してパナマ大学に入学したが進路を変更。ペルーの陸軍士官学校を経て、1962年パナマ国家警備隊に中尉入隊、後の最高権力者オマール・トリホス将軍と出会う。’68年のクーデターでトリホス将軍が権力を握ると、その後押しで参謀本部情報部長に抜擢され、’70年にはクーデターを鎮圧した功績中佐昇進、同時に同国情報機関G2の司令官に就任。G2を率いていた’68〜81年の間に権力基盤を固め、G2はもとより犯罪捜査、税関、出入国管理などを事実上支配し、国内の表裏の情報に通じた。’86年頃までこの情報を米国中央情報局(CIA)や米国防総省情報局(DIA)などに提供し報酬を受けていたといわれる。’81年トリホス将軍が飛行機事故で死去した後、’82年参謀総長、’83年国軍最高司令官・将軍に就任、総数1万5000人といわれるパナマ国家警備隊を率いて、すべての権力を掌握した。しかし、’88年2月より米国は麻薬取引がらみで訴追し、“司令官退陣・国外退去”を求め圧力をかけていた。’89年10月には、ノリエガ将軍の退陣を求める国軍若手将校らのクーデターが発生したが、ノリエガ派が鎮圧。同年12月、翼賛派で固めた人民議会から全権をゆだねられた“政府主席”に任命されて名実ともに最高実力者となる。その直後の同20日、米軍の軍事侵攻にあい、同24日パナマ市内のバチカン大使館に政治亡命を申請したが、翌’90年1月3日米軍に投降した。以後、米司法当局に身柄を拘束され、’92年7月マイアミの連邦地裁により麻薬取引など8件の罪で拘禁刑40年の量刑判決を受ける。’99年3月、同30年に減刑。また、’93年10月パナマの地裁より懲役20年の判決を受ける。’96年米国の出版社から手記を獄中出版。’97年には回顧録「アメリカの囚人」を出版。2010年4月マネーロンダリング罪でフランスに身柄引き渡し、7月パリの軽罪裁判所が禁錮7年言い渡しとなる。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

367日誕生日大事典 の解説

マヌエル・アントニオ ノリエガ

生年月日:1940年2月11日
パナマの政治家;軍人

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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