日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
マヌエル(1世)(ビザンティン皇帝)
まぬえる
Manuel Ⅰ
(1120―1180)
ビザンティン皇帝(在位1143~80)。コムネノス朝の皇帝ヨハネス2世の四男。外交手腕にたけた政治家で、西欧の騎士道文化に理解を示しながらも、他方ビザンティン帝国の世界支配の実現を目ざした。ノルマンのロジェール2世に苦しめられ、続くウィリアム1世とは和議ののち南イタリアから撤退した。しかし、キリキアのアルメニア領、アンティオキア公国、セルビア、ハンガリーにも帝国の宗主権を認めさせた。が、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の反ビザンティン帝国路線に同調したイコニオンのルム太守領にはミリオケファロンの戦い(1177)で大敗を喫し、その栄光に頓挫(とんざ)をきたした。また、ベネチアの進出を抑えることもできなかった。
[和田 廣]