マドンナ(英語表記)Madonna

翻訳|Madonna

精選版 日本国語大辞典 「マドンナ」の意味・読み・例文・類語

マドンナ

(madonna 元来は婦人の敬称)
[1] 聖母マリア。また、その画像
※外山正一氏の画論を駁す(1890)〈森鴎外〉二「均しく是れ『マドンナ』なり」
[2] 〘名〙 多くの男性のあこがれの対象となる女性。
坊っちゃん(1906)〈夏目漱石〉九「今度の事件は〈略〉マドンナを手に入れる策略なんだらう」

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デジタル大辞泉 「マドンナ」の意味・読み・例文・類語

マドンナ(〈イタリア〉Madonna)

聖母マリア。また、幼いキリストを抱いた聖母像
多くの男性のあこがれの対象となる女性。「クラスマドンナ
[類語]美人佳人美女麗人別嬪シャン名花小町色女大和撫子美少女美形美姫びき尤物ゆうぶつ解語の花傾城傾国

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現代外国人名録2016 「マドンナ」の解説

マドンナ
Madonna

職業・肩書
歌手,女優

国籍
米国

生年月日
1958年8月16日

出生地
ミシガン州ベイシティ

本名
チコーネ,マドンナ・ルイーズ〈Ciccone,Madonna Louise Veronica〉

別名
別名=エスター

学歴
ミシガン大学中退,アルビン・エイリー・ダンス・スクール

受賞
ビデオミュージック大賞視聴者大賞〔1989年〕「ライク・ア・プレイヤー」,ビルボード・アワード特別賞〔1996年〕,ゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ミュージカルコメディ部門,第54回,1996年度)〔1997年〕「エビータ」,アカデミー賞主題歌賞(第69回,1996年度)〔1997年〕「エビータ」,グラミー賞(ミュージックビデオ部門,第41回)〔1998年〕「レイ・オブ・ライト」,グラミー賞(作曲部門,第42回)〔1999年〕「ビューティフル・ストレンジャー」,MTVアワードベスト映画主題歌賞〔1999年〕「ビューティフル・ストレンジャー」,ゴールデン・グローブ賞主題歌賞(第69回,2011年度)「W.E.」

経歴
17歳の時ダンサーを目指してニューヨークへ。1979年成人映画「A Certain Sacrifice」に出演。その後パリボーカルのレッスンを受け、帰国後の’82年「エブリバディ」でロック歌手としてデビュー。’84年アルバム「ライク・ア・バージン」が大ヒットし、下着のような衣裳で“マリリン・モンローの再来”と脚光を浴びる。’87年日本ツアーでマドンナ旋風を巻き起こしたのを皮切りに、初の世界ツアー実施。「バーニング・アップ」「エロティカ」などのアルバムは全世界セールスで1000万枚以上を売り上げる。’91年には米経済誌「フォーブス」による世界芸能人所得番付で4位となった。’99年プエルトリコ出身の歌手リッキー・マーティンと、初のデュエット曲「Cuidado Con Mi Corazon」を発表し話題となる。2003年アルバム「アメリカン・ライフ」発表。2004年世界ツアー「Re-Invention」が年間収益1位(ビルボード調べ)。2005年アルバム「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」が世界的にヒット。2006年9月日本ツアーで13年ぶりに来日。2007年米国のロック殿堂入り。2010年シングルとアルバムのトータルセールスが女性ソロアーティスト史上最高の3億枚を突破。日本では、1989年の「ライク・ア・プレイヤー」、’90年の「アイム・ブレスレス」、2008年の「ハード・キャンディー」でオリコンチャート1位を獲得。一方、1984年「マドンナのスーザンを探して」で本格的に映画デビューし、以後「上海サプライズ」(’86年)、「フーズ・ザット・ガール」(’87年)、「ディック・トレイシー」(’90年)、「In Bed With Madonna」(’91年)、「プリティ・リーグ」(’92年)、「ボディ」(’92年)、「エビータ」(’96年)、「2番目に幸せなこと」(2000年)、「スウェプト・アウェイ」(2002年)に主演。1992年タイム・ワーナーと合併会社マベリックを設立。また同年発表した写真集「SEX」は過激な描写で世界中の論議を呼んだ。2003年初の絵本「イングリッシュ・ローズィズ」を発表、米国でベストセラーとなる。ユダヤ神秘主義思想の1つである“カバラ”の信仰者として知られ、2004年よりユダヤ人名の“エスター”を名のる。1985年俳優のショーン・ペンと結婚するが、’89年離婚。’96年10月未婚の母として女児を出産。2000年英国の映画監督ガイ・リッチーと結婚するが、2008年離婚。

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改訂新版 世界大百科事典 「マドンナ」の意味・わかりやすい解説

マドンナ
Madonna

聖母マリアの絵画または彫刻による像のこと。元来イタリア語で〈わが貴婦人〉の意。中世においては高貴な女性に対する尊称であったが,やがて聖母をはじめとする聖なる人物を呼ぶのに用いられるようになり,イタリアで16世紀以降もっぱら聖母の美術表現を指す語として定着した。なお,聖母子を英語でMadonna and Childという。
マリア
執筆者:

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20世紀西洋人名事典 「マドンナ」の解説

マドンナ
Madonna


1959.8.16 -
米国のロックシンガー,女優。
ミシガン州ベイシティ生まれ。
本名マドンナ・ルイーズ・チコーネ。
ミシガン大学を中退。ダンサーをめざし、17歳の時単身ニューヨークに出て、アルヴィン・エイリー等に師事。その後パリでヴォーカルのレッスンを受け、帰国後ロック・シンガーとしてデビュー。1984年「ライク・ア・バージョン」を発表し、ロック・シンガーとして注目を集め、’80年代のセックス・シンボルと騒がれた。又映画は’79年成人映画「A Creatain Sacrifice」に出演したが、本格的デビューは’84年「マドンナのスーザンを探して」。’85年二つ年下の俳優ショーン・ペンと結婚し、’86年「上海サプライズ」で共演。他の作品に「ビジョン・クエスト/青春の賭け」(’84年)等がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「マドンナ」の意味・わかりやすい解説

マドンナ

米国の女性ポピュラー歌手。本名Madonna Louise Vernon Ciccone。スターを目指し18歳でニューヨークに移住し,歌,ダンスの練習を重ねて1982年デビュー。翌1983年には早くもチャートの1位を獲得,その後も1984年の《ライク・ア・バージンLike A Virgin》など次々とヒットを飛ばし,映画にも多数出演している。ミュージック・ビデオなどのイメージを重視した表現と,親しみやすいメロディとダンス・サウンドで,1980年代,1990年代を通じて最も成功したエンターテイナーといえる。

マドンナ

元来はイタリア語で〈わが貴婦人〉の意。16世紀以降,絵画,彫刻などに表された聖母マリア像をさす語として定着した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「マドンナ」の解説

マドンナ

夏目漱石(そうせき)の小説「坊つちやん」の登場人物。
松山の遠山家のお嬢さんで,色のしろい,ハイカラ頭の背のたかい美人。うらなりこと古賀先生の婚約者だが,帝大出の赤シャツにプロポーズされるとなびいてしまう。小説は明治39年「ホトトギス」に発表。

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367日誕生日大事典 「マドンナ」の解説

マドンナ

生年月日:1959年8月16日
アメリカのロック歌手;女優

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世界大百科事典(旧版)内のマドンナの言及

【マリア】より

と略す)などと呼び,マリアということはむしろ少ない。西方ではとくに12世紀以降,騎士道の隆盛とともに〈われらの婦人〉,すなわちノートル・ダムNotre Dame(フランス語),ヌエストラ・セニョーラNuestra Señora(スペイン語),ウンゼレ・リーベ・フラウUnsere Liebe Frau(ドイツ語),アワー・レディOur Lady(英語)など,またイタリアではやや遅れてマドンナとも呼ばれた。また処女のままみごもったとされるところから,マリアは〈処女〉を意味する語によっても示される(英語のthe Virginなど)。…

※「マドンナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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