日本大百科全書(ニッポニカ) 「マザーリ・シャリーフ」の意味・わかりやすい解説 マザーリ・シャリーフまざーりしゃりーふMazār-i-Sharīf アフガニスタン北部、バルク州の州都。人口約23万2800(2001推計)。アフガン・トルキスタン最大の都市で、付近の灌漑(かんがい)耕地で産する農産物の集散地である。織物、革なめし、干しぶどう、兵器などの工場もある。住民はウズベク、トルクメン、タジクの諸族からなる。15世紀にイスラム第4代カリフのアリーの墓といわれるものが発見されて墓廟(ぼびょう)ができ、以来その門前町として繁栄した。1852年に中央政権に服し、アフガニスタン領となった。[勝藤 猛] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「マザーリ・シャリーフ」の意味・わかりやすい解説 マザーリ・シャリーフ アフガニスタンの北部の都市。アフガン・トルキスタン地方の中心都市で,ウズベキスタンとの国境に近く,バルフ川沿いに位置する。地名は〈聖者の墓〉の意で,15世紀にここで発見された第4代カリフの墓に由来する。アフガニスタンの中で最も肥沃な地域で,綿花,コムギ,果樹などが栽培され,製粉,絹,綿織物などの工業も行なわれている。人口33万4000人(2009)。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報