マクマオン(読み)まくまおん(英語表記)Comte de MacMahon, Marie Edme Patrice Maurice

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクマオン」の意味・わかりやすい解説

マクマオン
まくまおん
Comte de MacMahon, Marie Edme Patrice Maurice
(1808―1893)

フランス軍人政治家。アイルランド系貴族の出身。1830年アルジェリア遠征に参加し、20年以上にわたって対現地人戦闘に従事した。このため大軍指揮や戦略面では凡庸との評があるが、戦場では勇気ある軍人で、クリミア戦争イタリア統一戦争ではそれぞれ師団長、軍団長として野戦の功があった。プロイセンフランス戦争に第1軍司令官として参戦、緒戦敗北したのち、負傷のためセダンスダン降伏の責任を免れた。帝制廃止後パリ・コミューン鎮圧軍司令官を務め、1873年王党派に推されて大統領に就任、1877年共和派優位の下院に信任されるシモン内閣を辞職させ(五月十六日事件)、下院をも解散したが、続く総選挙に敗れ、1879年に辞職した。この事件は、下院解散を禁忌とする第三共和政の憲法慣行をつくったものとして記憶されている。

[石原 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マクマオン」の意味・わかりやすい解説

マクマオン
Mac-Mahon, Marie-Edme-PatriceMaurice de, Duc de Magenta

[生]1808.7.13. ソーヌエロアール,シュリイ
[没]1893.10.17. ロアレ,シャトーラフォレ
フランスの軍人,政治家。熱烈なレジティミスト (正統王朝派) の家に生れ,1827年入隊。アルジェリア征服で軍功をあげて 48年将軍,クリミア戦争イタリア戦争名声を高め元帥となり,マジェンタ公の称号を得た。 64年アルジェリア総督。普仏戦争の際スダンで重傷を受け捕虜となったが,講和により釈放され,ベルサイユ軍の指揮官としてパリ・コミューンの鎮圧に努めた (1871) 。この結果,議会で多数派であった王党派の人気を獲得し,73年5月大統領。正統派とオルレアン王朝派に分裂していた王党派の連合が成らず,76年総選挙で共和派が下院に大量進出すると共和派に内閣をゆだねたが,翌年余勢をかった共和派が教権至上主義を敵としてカトリック勢力を弾劾すると,内閣を罷免し,大統領特別権限によって下院の解散を断行 (77.5.16.) 。しかし 77年 10月の選挙でも共和派の優位を変えることができず,79年1月辞職。

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改訂新版 世界大百科事典 「マクマオン」の意味・わかりやすい解説

マクマオン
Edme Patrice Maurice,comte de Mac-Mahon
生没年:1808-93

フランスの軍人,政治家。七月王政下のアルジェリア平定,第二帝政下のクリミア戦争,イタリア統一戦争に功があり元帥となる。パリ・コミューンに際しては政府軍司令官としてこれを鎮圧し,73年第三共和政の大統領となったが,王政復活を策して議会の停会を断行し(1877年5月16日事件),解散につづく総選挙で共和派に敗れて威信を失い,79年辞任した。
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百科事典マイペディア 「マクマオン」の意味・わかりやすい解説

マクマオン

フランスの軍人,政治家。クリミア戦争イタリア統一戦争に功績をあげたが,普仏戦争ではセダンの戦に敗北。王党から推され大統領(1873年―1879年)となったが,王政復古に備える政策を強行して失敗。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マクマオン」の解説

マクマオン
Patrice de MacMahon

1808~98

フランスの軍人。クリミア戦争に参加。プロイセン‐フランス戦争スダンの戦いに敗北。1873年第三共和政大統領(在任1873~79)。王党派の支持を得て執行権の強化を図り,共和政の危機をもたらすが,議会選挙に敗れ大統領を辞任。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マクマオン」の解説

マクマオン
Marie Edme Patrice Maurice de MacMahon

1808〜93
フランスの軍人・政治家
クリミア戦争・イタリア統一戦争で武名をあげたが,普仏 (ふふつ) 戦争で敗北した。1873年,第三共和政2代目の大統領となって王政の復活を企図し,執行権の強化をはかったが,共和派の反対にあって79年辞職。

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