ポールロアイヤル運動(読み)ポールロアイヤルうんどう

改訂新版 世界大百科事典 「ポールロアイヤル運動」の意味・わかりやすい解説

ポール・ロアイヤル運動 (ポールロアイヤルうんどう)

17世紀フランスに起こった信仰上の運動。ポール・ロアイヤルPort-Royalは元来13世紀に創設され,パリ南郊のシュブルーズにあった女子修道院であるが,17世紀初頭,弱年の院長アルノーAngélique Arnauldによって改革され,またフランソア・ド・サールの指導を受けて有名になった。1625年パリに分院(ポール・ロアイヤル・ド・パリ)が作られ,48年に再開された本院はポール・ロアイヤル・デ・シャンと呼ばれた。修道院は1635年からサン・シランの指導を受けるが,37年には彼の影響下に回心し現世での栄達を捨てて修道院の近辺に隠遁生活を送る男性信徒の小集団が成立し,以後ポール・ロアイヤルは両者総称として用いられることになる。サン・シランを師と仰ぎ,その弟子A.アルノーを理論的指導者とするポール・ロアイヤルはカトリック宗教改革運動の一翼を担うが,他方ジャンセニスムの本拠地とみなされ,教権,俗権の双方から数々の弾圧を受け,1709年修道院は閉鎖され,運動は終りをつげた。しかしその間,ポール・ロアイヤルはその運動の担い手関係者の中から,アルノー,パスカル,P.ニコル,ラシーヌといった著名な思想家文学者を輩出し,フランス古典期の文化に大きく貢献した。また付属学校は教育史上名高く,そこでの教育経験から生まれたいわゆるポール・ロアイヤルの《論理学》と《文法》は近年注目を集めている。
ジャンセニスム
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のポールロアイヤル運動の言及

【サン・シラン】より

…学生時代にヤンセンと親交を結び,聖書と教父の研究に打ち込むが,1620年オラトリオ会の創設者ベリュルP.de Bérulleと出会い,その影響下に教会改革の必要を痛感する。35年ポール・ロアイヤル女子修道院の指導を引き受け,ポール・ロアイヤル運動に深くかかわる。38年政治,信仰上の複合的な理由からリシュリューの命で捕らえられ,42年釈放されるとまもなく没した。…

【ニコル】より

…フランスのモラリスト,神学者。ポール・ロアイヤル運動に参加し,アルノーを助けて多数の宗教論争書を著す。パスカルの《プロバンシャル》の執筆にも協力し,それをラテン訳した。…

【パスカル】より

…しかし,やがて心の空白を自覚するに至り,ついに54年11月23日の夜,〈第2の回心〉と呼ばれる宗教体験を得て信仰に身を捧げることを決意した(その記録として《覚書》がある)。以後彼はポール・ロアイヤル運動の同調者となり,ジャンセニスムの牙城として教権と俗権の双方から圧迫されていたポール・ロアイヤル修道院とその関係者を支援する。とくに56‐57年には,《プロバンシャル》の名で知られる18通の論争書簡を執筆し,アウグスティヌス伝来の厳格な恩寵観を擁護すると同時に,ポール・ロアイヤルの最大の敵イエズス会のたるんだ道徳観を攻撃して,世論に一大センセーションをまきおこした。…

※「ポールロアイヤル運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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