ポメスチエ(読み)ぽめすちえ

世界大百科事典(旧版)内のポメスチエの言及

【モスクワ・ロシア】より

…そこでイワン3世は上記の〈裁判法規集〉などで住民の裁判参加,代官の任期制などの規制策をとり始めた。イワン3世は併合したノブゴロド領で下級戦士に軍役を条件とする土地(ポメスチエ)を与えて,君主に忠実な士族(ドボリャーネ)の育成に努め,これがしだいに貴族に対抗する大公権力の支えになっていくが,イワン3世の代に現れる大公の書記役がすでに士族であり,16世紀前半に始まる都市司令,警察区長は在地の士族の間から選ばれている。 1547年にツァーリの称号を公式に採用したイワン4世(雷帝)に,政治思想家ペレスベトフが強力な君主による正義の実現を求めたが,幼少期に有力者の専横を身近に体験したイワン自身が,最も雄弁な君主専制のイデオローグであった。…

※「ポメスチエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」