ポッジョブラッチョリーニ(英語表記)Gian Francesco Poggio Bracciolini

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ポッジョ・ブラッチョリーニ
Gian Francesco Poggio Bracciolini
生没年:1380-1459

イタリアの人文主義者。アレッツォ近郊に生まれ,フィレンツェに出てサルターティに兄事して古典ラテン語の名文家と成り,教皇庁に書記の職を得た。コンスタンツ公会議への随行や休暇の機会をとらえて,ザンクト・ガレンやクリュニーをはじめヨーロッパ各地の修道院を訪れ,蔵書の中からローマ古典文学の古写本を探し集めた。彼が再発見し人文主義者仲間を通じて世に送り出した古典作家は,キケロ(弁論の一部),クインティリアヌス,ウァレリウス・フラックス(部分),アスコニウス,フェストゥスルクレティウススタティウス(《詩叢(シルウァエ)》),マニリウスなど多数にのぼっている。イギリス訪問(1418-22)では古写本の収穫はなかったものの,イギリスにイタリア人文主義のいぶきを伝え刺激を与えた。また,彼は当時兆しつつあった古典ギリシア語習得への熱意にはほとんど関心を払わなかったが,ローマ時代のラテン語碑文には注目してみずから記録収集し,碑文研究の先鞭を付けた。晩年はフィレンツェに帰り,かつてサルターティが才腕を振るっていた書記官長の職に就き,かたわら《フィレンツェ史》を執筆した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のポッジョブラッチョリーニの言及

【メディチ家】より

…1737年,かれは世継ぎを残さずに死去し,メディチ家は断絶する。【在里 寛司】
[メディチ家蔵書]
 メディチ家第2代当主コジモはニッコロ・ニッコリやポッジョ・ブラッチョリーニらの収書活動に援助を与え,また彼らの協力を得てギリシア・ローマ古典や教父著作の古写本を自らも買い集めたが,ニッコリが死ぬと,彼が遺贈した収書を基に自らの蔵書の一部も加えて1447年サン・マルコ修道院内に図書室を開設し,一般に公開して利用に供した。収書熱は息子のピエロをはじめとする後代にも引き継がれ,とくに第3代当主ロレンツォはラスカリスに委嘱して旧ビザンティン帝国領内に散在するギリシア古典写本を系統的に集めさせた。…

※「ポッジョブラッチョリーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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