ボルン(英語表記)Max Born

精選版 日本国語大辞典 「ボルン」の意味・読み・例文・類語

ボルン

(Max Born マックス━) ドイツ物理学者量子力学の新領域を開拓。一九三九年イギリスに帰化。波動関数の統計的解釈により五四年ノーベル物理学賞受賞。(一八八二‐一九七〇

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改訂新版 世界大百科事典 「ボルン」の意味・わかりやすい解説

ボルン
Max Born
生没年:1882-1970

ドイツの理論物理学者。解剖学教授を父としてプロシアブレスラウに生まれる。ブレスラウ,ハイデルベルクチューリヒで学んだ後,数学のメッカ,ゲッティンゲンでD.ヒルベルト,H.ミンコフスキーの2人の大数学者から当時の最先端の数学を学ぶ。物理学者としてはA.アインシュタインを模範像とし,1914年以来終生もっとも親密な友人となる。彼との往復書簡集は出版され邦訳もある。1907年アインシュタインの着想に基づく固体の比熱の理論をT.vonカルマンとともに発展させ,これがボルンの後年のおもな研究テーマを,格子力学と量子論に決めることになる。15年と23年に出版された著書によって,格子力学の領域に統一的で明快なまとめを与え,固体物理学に対する一つの重要な基礎を築いた。

 1914年以後ベルリン,ブレスラウ,フランクフルト・アム・マイン各大学の教授を歴任後,21年ゲッティンゲン大学の教授となり,コペンハーゲンミュンヘンと並ぶ量子論研究の世界の三大中心の一つと成す。25年,当時彼の助手であったW.ハイゼンベルクが量子力学建設への最初の決定的な論文を発表するや,ボルンはW.ハイゼンベルク,P.ヨルダンとともにそれを数学的に完結した行列力学の形の量子力学として完成させた。さらに26年E.シュレーディンガーの波動関数の統計的解釈を衝突過程の例で示し,これが翌年のN.ボーア,W.ハイゼンベルクらの量子力学のコペンハーゲン解釈への道を開いた。その功績により後年(1954)ノーベル物理学賞を受賞。ゲッティンゲン時代のボルンをめぐる俊秀たちの中で,後に一家を成した物理学者は数多い。その中にはM.デルブリュック,M.G.マイヤー,W.ハイゼンベルク,P.ヨルダン,J.フォン・ノイマン,J.R.オッペンハイマー,W.パウリ,E.テラー,V.F.ワイスコップ,E.P.ウィグナーらがいる。

 33年ナチスのユダヤ人排撃によってゲッティンゲンを追われてイギリスに移住し,ケンブリッジ大学を経て36年からエジンバラ大学の教授を務めた。39年の相反性原理の思想は,湯川秀樹の非局所場の理論に取り入れられた。53年70歳で同大学を停年退職,晩年はゲッティンゲン近郊のバド・ピルモントに帰って,ラッセル=アインシュタイン宣言や,西ドイツ核武装に反対するゲッティンゲン声明にも加わるなど,原子時代の人類存在の危機について訴えつづけた。相対性理論,原子力学,量子力学,光学,結晶格子の動力学などの専門ならびに科学哲学の分野にわたる著書20冊があるが,300編の専門論文は彼の最高度の創造力を示している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボルン」の意味・わかりやすい解説

ボルン
Born, Max

[生]1882.12.11. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1970.1.5. ゲッティンゲン
ドイツの理論物理学者。ゲッティンゲン大学を卒業。フランクフルト大学教授 (1919) ,ゲッティンゲン大学教授 (21) 。 1933年ナチスに追われてイギリスに渡り,エディンバラ大学教授 (36) 。 53年ドイツへ帰った。初め相対論,熱力学,固体物性の研究に取組む。 26年彼の弟子であった W.ハイゼンベルクの新しい着想に刺激されて,彼および P.ヨルダンとともに量子力学の研究に熱中し,その最初の定式化である行列力学の建設者の1人となる。同じ頃 E.シュレーディンガーがまったく異なった立場から波動力学と呼ばれる量子力学の定式化を進めていた。ボルンはシュレーディンガーの定式化に統計的解釈を与え,この解釈はのちに量子力学にとって標準的なものとなった。このほか,粒子の散乱問題 (ボルン近似 ) ,原子間力の研究,結晶学,液体の運動学的理論など多彩な研究を展開した。 54年 W.ボーテとともにノーベル物理学賞を受賞した。晩年には戦争に科学を使用することに反対し,原子力と科学者の責任などについて論じた。

ボルン
Born, Stephan

[生]1824.12.28. リッサ
[没]1898.5.4. バーゼル
ドイツの労働運動家。ユダヤ商人の子で,本名ジモン・ブッターミルヒ。 1840年以来ベルリンで植字工として働き,労働運動に向う。 47年パリでエンゲルスを知り,共産主義者同盟に加入,南フランスやスイスで扇動活動を行なった。ドイツに三月革命が起るとベルリンに派遣され,労働者の全国組織結成のために尽力。 M.バクーニンとともに 49年のドレスデン蜂起を指導,その鎮圧後はスイスに亡命して,『バーゼル通信』 Baseler Nachrichtenを刊行するかたわら,バーゼル大学でドイツ・フランス文学を講じた。

ボルン
Born, Bertrand de

[生]1140頃
[没]1215頃.ダロン
フランスの吟遊詩人,いわゆるトルバドゥールの一人。風刺詩にすぐれていた。フランス南部オートフォールの領主で,イングランド王リチャード1世に加担してフランス王フィリップ2世と戦うなど,勇猛な武人としての一生をおくった。その息子も同名で,また詩人である。

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百科事典マイペディア 「ボルン」の意味・わかりやすい解説

ボルン

ドイツ出身の英国の物理学者。ブレスラウ,ゲッティンゲン等の大学に学び,1914年ベルリン大学,1921年ゲッティンゲン大学各教授。1933年ナチスに追われ渡英,1936年―1953年エディンバラ大学教授。1939年英国に帰化。ハイゼンベルクのマトリックス力学の定式化に協力,また波動力学における波動関数の確率論的解釈を展開(1926年)して量子力学の基礎づけに寄与。ほかに分子・結晶格子・液体の量子力学的理論,非線形電磁場論等広範囲な研究がある。1954年ボーテとともにノーベル物理学賞。
→関連項目ハイゼンベルクマトリックス力学ヨルダン

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