精選版 日本国語大辞典 「ボルン」の意味・読み・例文・類語
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ドイツの理論物理学者。解剖学教授を父としてプロシアのブレスラウに生まれる。ブレスラウ,ハイデルベルク,チューリヒで学んだ後,数学のメッカ,ゲッティンゲンでD.ヒルベルト,H.ミンコフスキーの2人の大数学者から当時の最先端の数学を学ぶ。物理学者としてはA.アインシュタインを模範像とし,1914年以来終生もっとも親密な友人となる。彼との往復書簡集は出版され邦訳もある。1907年アインシュタインの着想に基づく固体の比熱の理論をT.vonカルマンとともに発展させ,これがボルンの後年のおもな研究テーマを,格子力学と量子論に決めることになる。15年と23年に出版された著書によって,格子力学の領域に統一的で明快なまとめを与え,固体物理学に対する一つの重要な基礎を築いた。
1914年以後ベルリン,ブレスラウ,フランクフルト・アム・マイン各大学の教授を歴任後,21年ゲッティンゲン大学の教授となり,コペンハーゲン,ミュンヘンと並ぶ量子論研究の世界の三大中心の一つと成す。25年,当時彼の助手であったW.ハイゼンベルクが量子力学建設への最初の決定的な論文を発表するや,ボルンはW.ハイゼンベルク,P.ヨルダンとともにそれを数学的に完結した行列力学の形の量子力学として完成させた。さらに26年E.シュレーディンガーの波動関数の統計的解釈を衝突過程の例で示し,これが翌年のN.ボーア,W.ハイゼンベルクらの量子力学のコペンハーゲン解釈への道を開いた。その功績により後年(1954)ノーベル物理学賞を受賞。ゲッティンゲン時代のボルンをめぐる俊秀たちの中で,後に一家を成した物理学者は数多い。その中にはM.デルブリュック,M.G.マイヤー,W.ハイゼンベルク,P.ヨルダン,J.フォン・ノイマン,J.R.オッペンハイマー,W.パウリ,E.テラー,V.F.ワイスコップ,E.P.ウィグナーらがいる。
33年ナチスのユダヤ人排撃によってゲッティンゲンを追われてイギリスに移住し,ケンブリッジ大学を経て36年からエジンバラ大学の教授を務めた。39年の相反性原理の思想は,湯川秀樹の非局所場の理論に取り入れられた。53年70歳で同大学を停年退職,晩年はゲッティンゲン近郊のバド・ピルモントに帰って,ラッセル=アインシュタイン宣言や,西ドイツの核武装に反対するゲッティンゲン声明にも加わるなど,原子時代の人類存在の危機について訴えつづけた。相対性理論,原子力学,量子力学,光学,結晶格子の動力学などの専門ならびに科学哲学の分野にわたる著書20冊があるが,300編の専門論文は彼の最高度の創造力を示している。
執筆者:山崎 和夫
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