ボルツァーノ(英語表記)Bolzano

精選版 日本国語大辞典 「ボルツァーノ」の意味・読み・例文・類語

ボルツァーノ

(Bernhard Bolzano ベルンハルト━) チェコ哲学者、論理学者、数学者プラハ大学教授。ドイツ観念論を批判し、純粋客観主義的論理学を唱え、フッサールに影響を与えた。また、集合論先駆者でもある。(一七八一‐一八四八

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デジタル大辞泉 「ボルツァーノ」の意味・読み・例文・類語

ボルツァーノ(Bolzano)

イタリア北東部、トレンティーノアルトアディジェ自治州の都市。南チロル地方の中心都市。ドロミティ山地の西側、アディジェ渓谷に位置し、イザルコ川とその支流タルベラ川の合流点に近い。オーストリアスイスを結ぶ交通の要地であり、中世には市が開かれ商業の拠点として栄えた。第一次大戦後よりイタリア領。ドイツ語名ボーツェン。

ボルツァーノ(Bernhard Bolzano)

[1781~1848]オーストリアの哲学者・数学者。ドイツ観念論に反対し、客観主義的論理学を樹立。フッサールなどに影響を与えた。著「知識学」「無限の逆説」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「ボルツァーノ」の意味・わかりやすい解説

ボルツァーノ
Bolzano

イタリア北部,トレンティノ・アルト・アディジェ州の同名県の県都。ドイツ語ではボーツェンBozen。人口9万7924(1994),アルプス山系の高山に囲まれ,標高265mの盆地に発展したボルツァーノは,北をアルプスにさえぎられているため,冬も比較的温暖である。ブレンナー峠の南にあり,イタリアとアルプス以北の国々とを結ぶ交通の要衝,交易の中心地として栄えた。水力発電所の電力も豊富で,繊維,家具,鋼鉄,アルミ加工などの産業が発達している。

 前14年,ローマ帝国の駐屯地になり,7世紀後半にランゴバルド領になったが,8世紀にはフランク族に征服された。その後,トレントバイエルンの公爵の間でボルツァーノ支配権が争われ,1027年,皇帝コンラート2世がボルツァーノをトレントの司教統治領に併合した。12,13世紀にはイタリアの商人や銀行家が集まり,町の市場で活発な商業活動を行ったが,近郊の農村はチロルの伯爵が領有し,1531年,町もチロルの伯爵領となった。ハプスブルク家は毎年開かれる市を保護するため,ボルツァーノに特別法や特別行政を承認した。1806年,ナポレオンはボルツァーノをチロル地方とともにバイエルン領としたが,10年にはナポレオンのイタリア王国に編入され,15年のウィーン会議はこの町をオーストリア領と決定した。オーストリアの主権は1918年のイタリア軍による占領まで約1世紀続いた。第2次大戦中,ボルツァーノは甚大な戦禍を受け,43-45年にはナチス・ドイツの占領下にあったが,戦後イタリアの領土に戻った。チロル地方に近いボルツァーノは古くから住民の多くがゲルマン系で,人種,公用語問題をかかえていたが,48年制定のイタリア共和国憲法は,トレンティノ・アルト・アディジェ州に広範囲の自治権を認めている。
執筆者:

ボルツァーノ
Bernhard Bolzano
生没年:1781-1848

プラハで活躍したチェコ(当時はオーストリア領)の哲学者,数学者。哲学上の主著は《学問論》全4巻(1837)。ドイツ観念論を批判して,独自の客観主義的な論理学説を展開した。とくに重要視されるのは,命題自体,表象自体,真理自体という考え方で,学問論の基礎をなすこれら3概念は,主観の表象作用や判断作用とは無関係に,それ自体として存在する理念的対象であり,したがって時間・空間的に限定される現実存在ではないとされる。その業績はF.ブレンターノ,フッサールらに大きな影響を与えた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボルツァーノ」の意味・わかりやすい解説

ボルツァーノ
Bolzano, Bernhard

[生]1781.10.5. プラハ
[没]1848.12.18. プラハ
オーストリアの哲学者,論理学者,数学者。カトリック神学と数学を学び,1805年司祭,プラハ大学宗教哲学教授。1819年異端の疑いで大学を追われた。イマヌエル・カントおよびドイツ観念論に反対し,ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツに出発点を求めた。心的過程と論理的内容とを峻別し,非歴史的論理学を提唱。ドイツ=オーストリア学派の形成者となり,エトムント・フッサールに影響を与えた。また集合論の先駆者として,ゲオルク・カントルに影響を与えた。主著『アタナシア』Athanasia oder Gründe für die Unsterblichkeit der Seele(1827),『学問論』Wissenschaftslehre(4巻,1834),『無限の逆説』Paradoxien des Unendlichen(1851)。

ボルツァーノ
Bolzano

ドイツ語ではボーツェン Bozen。イタリア北部,トレンティノアルトアディジェ州ボルツァーノボーツェン県の県都。ベネチア北西約 145km,アルプスを刻むアディジェ川の上流部で,2つの支流が合する地点を占める。ブレンナー峠越えの道路,鉄道交通の要地にあたり,オーストリアに近くドイツ語系住民が多い。7~8世紀にバイエルン伯に支配され,そののちも支配者が交代したが,大部分はオーストリア側に属した。 1919年イタリア領。ドロミティ山脈への探勝基地。産業はアルミニウム精錬のほか製紙,製鋼,繊維,酒造の諸工業。高さ 65mの鐘楼をもつゴシック様式の大聖堂 (14~15世紀) などがある。人口9万 8233 (1991推計) 。

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百科事典マイペディア 「ボルツァーノ」の意味・わかりやすい解説

ボルツァーノ

イタリア北部,トレンティノ・アルト・アディジェ州の都市。ドイツ語ではボーツェンBozen。アディジェ川,イザルコ川の合流点に近く,イタリアとアルプス以北を結ぶ交通の要地で,ドロミティ・アルプスの観光地。中世には市場町として栄え,1531年チロル伯領となり,1815年にはオーストリア領となったが,第2次大戦後イタリアに戻った。ドイツ語とイタリア語が話される。10万2575人(2011)。
→関連項目トレンティノ・アルト・アディジェ[州]マルモラーダ[山]

ボルツァーノ

オーストリア(現,チェコ)の哲学者,数学者。プラハ生れ。主著《学問論》(1837年)で説かれた,命題自体,表象自体,真理自体の3概念にもとづく論理学説は,ブレンターノフッサールらへの影響大。
→関連項目ラスク

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