ボナール(英語表記)Pierre Bonnard

精選版 日本国語大辞典 「ボナール」の意味・読み・例文・類語

ボナール

(Pierre Bonnard ピエール━) フランスの画家。調和を保った豊かな色彩で「色の魔術師」と呼ばれた。石版画ポスターにもすぐれた作品を残す。代表作に「田園食堂」「浴槽の裸婦」など。(一八六七‐一九四七

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デジタル大辞泉 「ボナール」の意味・読み・例文・類語

ボナール(Pierre Bonnard)

[1867~1947]フランスの画家。身近な生活情景に材を取り、色彩それ自体の美を追求した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ボナール」の意味・わかりやすい解説

ボナール
Pierre Bonnard
生没年:1867-1947

フランスの画家。セーヌ県フォントネー・オー・ローズFontenay-aux-Roses生れ。法律を学んだのち画家を志し,エコール・デ・ボーザール(国立美術学校)に入学,すぐにアカデミー・ジュリアンに移り,そこでドニ,セリュジエ,ビュイヤールを知り,1889年ナビ派の結成に参加する。はじめ暗い色調で描いていたが,最初の個展(1896)のころから,平坦な色面を主体に都会生活の断面を切りとったものを描く。ここには浮世絵版画の強い影響がある。以後,主題はしだいにいかにも親密な雰囲気をただよわせる〈室内〉,とりわけ裸婦のいる室内に集中していく(このため,ビュイヤールとともに〈親密派アンティミストIntimistes)〉と呼ばれることもある)。それと同時に,色彩と形態の処理も,光のひびきあい主眼をおいた感覚的で自在なものになり,1905年から10年にかけて,〈印象主義的〉ともいえる時期をむかえる。冬を地中海沿岸で過ごすようになった20年代半ば以降この傾向はますます強まり,室内の個々の対象よりも,むしろそこに満ちあふれる暖かな光そのものが中心的な主題となる。形態も色彩もこれにあわせて可能なかぎり互いに溶けあい,こうして,あくまでもありふれた室内という形をとりながらも,実は画家自身の内面世界の投影にほかならない魔術的な室内が描かれることになった。ボナールはまた,ポスター,リトグラフ,挿絵においても注目すべき仕事を残し,おもなものとして,《ルビュ・ブランシュ》誌のためのリトグラフ,ベルレーヌ《平行して》(1900),ルナール博物誌》(1904)の挿絵があげられる。無類のコロリスト(色彩家)であり,最後の印象主義者ともいえるボナールは,その直観的で大胆な色彩処理によってフォービスムを予知していたにもかかわらず,その方向には進まず,美術の潮流とはほとんど無縁のまま,晩年はコート・ダジュールのル・カンネLe Cannetに住み同地で没した。
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百科事典マイペディア 「ボナール」の意味・わかりやすい解説

ボナール

フランスの画家。パリ近郊のフォントネー・オー・ローズ生れ。パリのアカデミー・ジュリアンに学び,そこで知り合ったビュイヤールセリュジエドニらと1889年ナビ派を結成。堅固な構図と暖かい色彩を用いて風景,人物,静物等を明快に表現した。裸婦画においてはルノアールの豊麗な量感を継承し,風景画は1880年代のモネに近い。代表作に《逆光の裸婦》(1908年,ブリュッセル,ベルギー王立美術館蔵),《浴槽のなかの裸婦》(1937年,パリ,市立近代美術館蔵)などがある。
→関連項目アンティミスムボラール

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボナール」の意味・わかりやすい解説

ボナール
Bonnard, Pierre

[生]1867.10.3. フォントネーオーローズ
[没]1947.1.23. ルカンネ
フランスの画家,版画家,イラストレーター。初め法律を学んだが,1888年にパリの美術学校に入学。 1880年代末に J.ビュイヤール,M.ドニ,P.セリュジエらとともにナビ派を形成し,91年のアンデパンダン展に出品。この頃日本の浮世絵版画からも影響を受けた。 93年から『ラ・ルビュ・ブランシュ』紙の挿絵を描いた。リトグラフや劇場装飾も手がけ,96年にデュラン・リュエルで最初の個展を開いた。色彩豊かな明るい作品を描き,また家庭的な情景の描写に巧みでアンティミスト (親密派) と呼ばれた。主要作品は『庭に面した食堂』 (1934,ニューヨーク,グッゲンハイム美術館) ,『浴槽の裸婦』 (パリ,プチ・パレ) 。

ボナール
Bonald, Louis Gabriel Ambroise, Vicomte de

[生]1754.10.2. ルモンナ
[没]1840.11.23. ルモンナ
フランスの哲学者,政治家。 1785~89年ミーヨー市長。フランス革命後,91年ハイデルベルクに移り,96年『政治宗教権力論』 Théorie du pouvoir politique et religieux (3巻) を出し王党派の論客として台頭。 97年帰国し,王政復古後は国家の要職を歴任し,1816年アカデミー・フランセーズ会員。 30年の七月革命後は故郷に隠退した。人は言葉で考えるから,言葉は思考と同時になければならず,それは神より与えられたものであり,地上のすべての営みはキリストと教会を仲介者とする神の創造であるとした。この思想を根底として,教会と国家における伝統的単一権力の正統性を極端に強調し,啓蒙主義やフランス革命の精神に反対した。

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