ボッティチェリ(英語表記)Sandro Botticelli

精選版 日本国語大辞典 「ボッティチェリ」の意味・読み・例文・類語

ボッティチェリ

(Sandro Botticelli サンドロ━)⸨ボッティチェルリ⸩ イタリア‐ルネサンスの画家フィレンツェ生まれ。代表作ビーナス誕生」「春」など。晩年は、神秘主義的傾向を強め、ダンテの「神曲」の挿絵などを手掛けた。(一四四四頃‐一五一〇

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デジタル大辞泉 「ボッティチェリ」の意味・読み・例文・類語

ボッティチェリ(Sandro Botticelli)

[1444ころ~1510]イタリアの画家。フィレンツェ派。流麗な描線を特色とする。作「」「ビーナスの誕生」など。ボッティチェルリ。

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改訂新版 世界大百科事典 「ボッティチェリ」の意味・わかりやすい解説

ボッティチェリ
Sandro Botticelli
生没年:1445-1510

イタリアの画家。フィレンツェ生れ。父は皮なめし業を営む。1462ころ-67年,当時プラートにあったフィリッポ・リッピの工房で徒弟として修業。70年にはフィレンツェ市内で独立した工房を構え,70年代前半にはしだいに制作依頼が増えてきたもようである。この時期は,ベロッキオの影響を感じさせる繊細な写実主義を示している。70年代には,一般にこの時代の作とされる3点の《三博士の参拝》(ロンドンのナショナル・ギャラリーの2点,およびウフィツィ美術館のいわゆる《ラーマ家の礼拝》)制作を通じて,写実と理想との均衡のとれた様式と,盛期ルネサンス絵画を予告する端正な求心的構図法とを確立する。そのような様式の頂点に存在するのが,《春》(1478ころ),《ビーナスの誕生》(1485ころ)など,一連の神話画である。これらは,他の追随を許さない精妙な描線と洗練された色彩が生む完璧な視覚美によって,彼の代表作であると同時に,西洋美術史上最も人々に愛好される作品となっている。さらにこの2作品は中世以来最初の異教的主題の大画面である点で特異であり,15世紀という時点でそれが可能であったのは,ボッティチェリが神話画において単に神話的情景を描くことだけを目的としておらず,新プラトン主義の視覚化を試みているゆえであろう。

 81-82年,教皇シクストゥス4世に招かれてローマに赴き,バチカンシスティナ礼拝堂壁画を他の画家たちと競作し,名実ともに一流画家としての地位を固めてゆく。フィレンツェ帰還後も,市庁舎内の壁画やロレンツォ・イル・マニーフィコの個人的依頼など重要な注文は後を絶たなかったが,そのかたわらで,80年代後半以降,しだいに感情的表現の濃厚な,均衡を欠いた様式になってゆく(《受胎告知》1490)。次いで90年代に帰せられる作品には,激しい動感,刻みこむような描線,強烈な色彩などの目だつ,悲壮な雰囲気のものが多い。多くの研究者たちはこの変化の原因を,ボッティチェリがサボナローラの教えに帰依したことに見いだしている。1501年には,唯一の年記と署名入りの作品である《神秘の降誕》でイタリアの動乱の時代に対する憂慮と来るべき平和に対する期待を表明した。ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの依頼によって,おそらく1480年代から描きつづけてきたと思われるダンテの《神曲》挿絵素描の最後の部分もこのころの制作になるものであろう。しかし,そのほかには没年までの活動は記録されておらず,バザーリは病身の晩年を送ったと記している。明瞭な描線を主体とするボッティチェリの様式は,レオナルド・ダ・ビンチラファエロなどの柔らかな16世紀的描法とは正反対のものであり,新しいものを求める当時の顧客の関心を引かなくなっていた。その意味で彼は15世紀の終末とともに姿を消すべく運命づけられた画家であったといえよう。
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百科事典マイペディア 「ボッティチェリ」の意味・わかりやすい解説

ボッティチェリ

初期イタリア・ルネサンスの代表的画家。本名アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペピAlessandro di Mariano Filipepi。フィレンツェ生れ。フィリッポ・リッピに学び,ベロッキオポライウオロの影響のもとに初め写実を探究したが,のち美しい線描と優麗な色彩を特徴とする詩的で装飾的な画風に到達。代表的な作品は,《春》(1478年ころ,ウフィツィ美術館蔵),《ビーナスの誕生》(1485年ころ,同館蔵),《三博士の参拝》(1475年ころ,ウフィツィ美術館蔵)など。ダンテの《神曲》に描いたさし絵は線描家としての面目をよく表している。晩年はサボナローラに帰依し,神秘主義的な傾向を強め,1501年の《神秘の降誕》(ロンドン,ナショナル・ギャラリー蔵)を最後に絵筆を絶った。
→関連項目ウフィツィ美術館システィナ礼拝堂ピエタファン・デル・フースフィレンツェ派メディチ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ボッティチェリ」の解説

ボッティチェリ
Sandro Botticelli

1444/45~1510

イタリア初期ルネサンスの画家。フィレンツェで生没。フィリッポ・リッピに師事し,ヴェロッキオの工房ともかかわる。ロレンツォ・デ・メディチ支配下のフィレンツェの代表画家として,優美で洗練された装飾的・線的画風で一世を風靡(ふうび)した。メディチ家周辺の人文主義者たちと親交を持ち,「春」や「ヴィーナスの誕生」など異教的主題を手がけるのみならず,聖母子など宗教画も多く描き,甘美かつ抒情的で哀愁を帯びた女性像を創造した。90年代以降,サヴォナローラの宗教的影響を強く受けて,硬質で神秘的な画風へと一変する。フィレンツェの政治的混乱のなか,晩年はダンテ『神曲』挿絵制作に没頭し,不安感に満ちた「神秘の降誕」を最後に画業を絶った。代表作は上記のほかヴァチカンシスティナ礼拝堂壁画,「東方三博士の礼拝」「ザクロの聖母」「マニフィカートの聖母」など。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ボッティチェリ」の解説

ボッティチェリ
Sandro Botticelli

1444ごろ〜1510
イタリアの中期ルネサンスの画家
フィレンツェ生まれ。特異な画風により,ギリシア神話から題材をとった作品や宗教画を残した。メディチ家の援助を受け,代表作は「春」「ヴィーナスの誕生」。晩年はサヴォナローラから精神的感化を受け,神秘的な作品を描いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボッティチェリ」の意味・わかりやすい解説

ボッティチェリ
ぼってぃちぇり

ボッティチェッリ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボッティチェリ」の意味・わかりやすい解説

ボッティチェリ

ボティチェリ」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のボッティチェリの言及

【ギリシア神話】より

…西欧世界の全面的なキリスト教化によって,ギリシア神話の神々は宗教的崇拝の対象としては死滅するが,前掲資料にとどめられた彼らの形姿はさらに後世に生きのび,とくにルネサンス以降は現在に至るまで文学,美術,音楽の分野で創造的な影響を及ぼしつづけている。ごく一部のとくに顕著な例にとどめるが,美術ではボッティチェリ,ティツィアーノ,ルーベンス,ベルニーニ,文学ではダンテ,ミルトン,ラシーヌ,ゲーテ,現代ではサルトル,コクトー,T.S.エリオットを,音楽ではグルック,ベートーベン,オッフェンバック,R.シュトラウスを挙げることができよう。 ギリシア神話についての解釈もギリシア自身に始まる。…

※「ボッティチェリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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