ボッチョーニ(読み)ぼっちょーに(英語表記)Umberto Boccioni

デジタル大辞泉 「ボッチョーニ」の意味・読み・例文・類語

ボッチョーニ(Umberto Boccioni)

[1882~1916]イタリア彫刻家画家。1912年に「未来派彫刻の技術宣言」を発表未来派代表者一人として活躍した。作「空間の中の連続するユニークな形態」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボッチョーニ」の意味・わかりやすい解説

ボッチョーニ
ぼっちょーに
Umberto Boccioni
(1882―1916)

イタリアの画家、彫刻家。レッジョ・ディ・カラブリアで生まれ、1901年ローマに移住し、バッラに師事する。パリ、ロシアなどを旅したのち、07年にミラノに定住する。この時期には分割主義的技法によって近代的工業都市を主題に描く(08年の『ポルタ・ロマーナの工場』など)。さらに分離派の象徴主義ムンクの表現主義に傾く。10年「未来主義画家宣言」にマリネッティらとともに署名し、以後理論的にも未来派運動の中心的存在となる。『上昇する都市』(1910・ニューヨーク近代美術館)に続く精力的な制作において、多くの面の重層的空間、形象と環境の空間的一貫性という命題を追究した。11年以降、彫刻の制作を開始する(『空間の連続性における単独の形態』1913・ミラノ近代美術館)。また「未来主義彫刻技術宣言」をはじめとする数多くの論文がある。15年兵役に服し、翌年ベローナで不慮の死を遂げた。

小川 煕]

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百科事典マイペディア 「ボッチョーニ」の意味・わかりやすい解説

ボッチョーニ

イタリアの画家,彫刻家。レッジョ・ディ・カラブリア生れ。未来派の中心的存在で,1910年カラルッソロと《未来派画家宣言》を発表。1912年彫刻に転じ,《未来派彫刻に関する技術宣言》を発表。彫刻に運動と時間の要素を導入しようと試みた。代表作に《ビンの空間への展開》(1912年),《空間における単一連続体》(1913年),《ギャロップ・馬・家の動的な構成》(1913年)などがある。第1次大戦中,落馬がもとで死去
→関連項目セベリーニバラ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボッチョーニ」の意味・わかりやすい解説

ボッチョーニ
Boccioni, Umberto

[生]1882.10.19. レッジョディカラブリア
[没]1916.8.16. ベロナ
イタリアの彫刻家,画家。 1898~1902年ローマで画家 G.バルラに師事。ヨーロッパ各地を回ってのち,07年ミラノに落ち着き,詩人 F.マリネッティに出会い,彼の未来主義 (→未来派 ) に共鳴。 10年マリネッティや G.セベリーニを中心とする「未来派画家の宣言」に連署し,次いで 12年「未来派彫刻の技法宣言」を発表,多種素材による彫刻を提唱した。未来派の主要な指導者として活躍。過去の伝統から脱却し,機械文明,スピード,暴力,感覚の世界を賛美したダイナミックな彫刻を制作した。第1次世界大戦に従軍し,訓練中の落馬がもとで 33歳で戦死。主要作品『空間における瓶の展開』 (1912,ニューヨーク近代美術館) ,『空間における連続性の形態』 (12,同) ,『ギャロップ・馬・家』 (13) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ボッチョーニ」の意味・わかりやすい解説

ボッチョーニ
Umberto Boccioni
生没年:1882-1916

イタリア未来派の画家,彫刻家。イタリア最南部,レッジョ・ディ・カラブリア生れ。最初,新印象主義のディビジョニスム(分割主義)を学び,しだいにキュビスムの技術を用いて,未来派のダイナミックな表現にいたる。マリネッティの《未来派宣言》(1909)に共鳴し,カラ,バラ,セベリーニ,ルッソロとともに《未来派画家宣言》(1910)に署名。とくに彫刻にすぐれ,新しい機械文明に向かう時代の速度と運動の表現を通して,未来派の理想に最も忠実な芸術家となった。落馬のため34歳で没。
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世界大百科事典(旧版)内のボッチョーニの言及

【イタリア美術】より

… 新しい工業化社会に賛同し,旧来の社会に反逆する最も過激なマニフェストは,1909年,文学者F.マリネッティによって出された〈未来派宣言〉と,これに続く未来派の運動である。U.ボッチョーニは空間芸術の中に時間を導入しようとし,バラGiacomo Balla(1874‐1958)は光と色によるダイナミズムを表現した。だが,何よりも重要なことは,彼らが芸術諸ジャンル間の境界,および芸術創作と人生との境界を外し,あらゆる前衛芸術の方向づけを行ったことにある。…

【オブジェ】より

…美術では,題材つまり描写対象と素材・材料の両面の意味をもつが,ダダ以後,後者の面で既製品を含む異質な素材を導入した立体作品をさす,特殊な用語となった。その先駆は,未来派の彫刻家ボッチョーニが,1911年,多様な素材を合成して〈生の強度〉に迫るべく,毛髪,石膏,ガラス,窓枠を組み合わせた作品をつくり,ピカソがキュビスムの〈パピエ・コレ(貼紙)〉の延長として,12年以後,椅子,コップ,ぼろきれ,針金を使った立体作品を試みたあたりにある。デュシャンは13年以後,量産の日用品を加工も変形もせず作品化する〈レディ・メード〉で,一品制作の手仕事による個性やオリジナリティの表現という,近代芸術の理念にアイロニカルな批判をつきつけ,ピカビアの〈無用な機械〉と名づけた立体や絵画も,機械のメカニズムをとおして人間や芸術を冷笑した。…

【未来派】より

…この運動はF.マリネッティの《未来派宣言》(1909)に端を発する。次いでボッチョーニセベリーニ,バラGiacomo Balla(1871‐1958)たちが1910年に《未来派画家宣言》をミラノで発表,マリネッティを指導者として,従来の芸術文化のあらゆる旧弊を破って,新しい未来社会の機械と速度のダイナミズムを礼賛した。当時の多くの若いイタリアの芸術家がこれに賛同して,過去のアカデミズムの破壊を目的とし宣言を発表しつづけた。…

※「ボッチョーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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