日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボタン(牡丹)」の意味・わかりやすい解説
ボタン(牡丹)
ぼたん / 牡丹
[学] Paeonia suffruticosa Andr.
ボタン科(APG分類:ボタン科)の落葉低木。高さ1~2メートル。樹皮は黒灰色、枝は太く、まばらに分枝する。葉は互生し、大形の2回3出羽状複葉。小葉は卵形または卵状披針(ひしん)形で長さ5~10センチメートル、2~3裂し、裂片は先がとがり、全縁で裏面は白色を帯びる。5月ころ、新枝の先に白色または紅紫色で径10~17センチメートルの花を1個開く。萼片(がくへん)は5枚、緑色で反曲する。花弁は5~8枚、倒卵形で縁(へり)に不規則な切れ込みがある。雄しべは多数。雌しべは3~5本、子房は、基部は花托(かたく)に囲まれる。本種はキンポウゲ科に入れられていたこともあるが、花托がへこみ、雄しべが遠心的に発達するなどの特徴により、ボタン科として扱われる。果実は卵形の袋果(たいか)で黄褐色の短毛を密生し、8~9月、熟して内側が縦裂する。種子は黒色で多数ある。中国西部原産である。
なお、シャクヤクはボタンに似ているが、多年草である。葉は表面に光沢があり、裏面は淡緑色である。小葉の基部はしばしば柄に沿下しているなど、違いがある。
多数の園芸品種があり、花色は白、淡紅、朱紅、紫、暗紫紅、黄色などで、半八重から万重咲き、獅子(しし)咲き、二段咲きなどがある。カンボタン(寒牡丹)は、春にできたつぼみを取り除き、8月に葉を切り取り、第二のつぼみを発育させ、晩秋から冬に開花する花を観賞する。
日本への渡来は明らかでないが、平安時代には栽培されたといわれるが、『延喜式(えんぎしき)』(927)や『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918)などに載せられた牡丹(ぼたん)は、今日のボタンではなく、カラタチバナであるとの説がある。鎌倉、室町時代には寺院や庭園などに広く植えられるようになった。江戸時代の元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)年間(1688~1711)には花の観賞が盛んになり、『花壇地錦抄(じきんしょう)』(伊藤三之丞、1695)には、白牡丹の仲間179品種、紅牡丹の仲間160品種、筑前(ちくぜん)牡丹138品種を載せている。明治以後には、大阪府池田市付近で260品種もの苗が生産された。現在は新潟県と島根県が主産地である。
繁殖は接木(つぎき)、株分け、実生(みしょう)による。接木の台木はボタン、シャクヤクを使う。移植の適期は8月下旬~9月で、過湿を嫌い、排水のよい砂質壌土を好み、陽樹で耐寒性がある。
[小林義雄 2020年5月19日]
名所
宮城県岩沼市の「金蛇(かなへび)水神社牡丹園」、福島県須賀川(すかがわ)市の「須賀川牡丹園」、埼玉県東松山市の「箭弓(やきゅう)稲荷神社牡丹園」、静岡県袋井(ふくろい)市の「可睡斎(かすいさい)」、奈良県桜井市初瀬(はせ)の長谷(はせ)寺、奈良県葛城(かつらぎ)市當麻(たいま)の當麻寺、石光(せっこう)寺などは有名である。
[小林義雄 2020年5月19日]
薬用
根の皮部を牡丹皮(ぼたんぴ)といい、漢方では消炎、浄血、鎮痛剤として虫垂炎、月経痛、月経不順、打撲症、腫(は)れ物などの治療に用いる。特有の強い臭(にお)いをもつが、これは配糖体ペオニフロリンなどを含有することによる。
[長沢元夫 2020年5月19日]
文化史
ボタン、シャクヤクと並び称されるが、シャクヤクが『詩経』に記録があり、紀元前から知られていたわりには、ボタンの登場は遅く、『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』に薬としての記録があり、北斉(ほくせい)(550~577)のころには観賞用とされ、絵画にも描かれたと伝えられているが、栽培が広がったのは唐代になってからである。唐の舒元輿(じょげんよ)の『牡丹賦(ぼたんふ)』には、則天武后が宮中の上苑(じょうえん)にボタンの移植を命じたと述べられている。また段成式(だんせいしき)は『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』(860ころ)のなかで、元和(げんわ)(806~820)の初めはまだ少なかったが、いまは戎葵(じゅうき)(タチアオイ)と数を競うほどになった、と書いているので、9世紀の50年間に洛陽(らくよう)でボタンが急速に流行したことがわかる。当時すでに、白、紫、紅、黄白(おうはく)などの色変わりや、八重咲き、また花径7~8寸の大輪花などの品種が分化し、寺院に植えられ、牡丹の会が開かれていた。白楽天は「花開き、花落の二十日」と詠んだ。唐以降も洛陽はボタンの中心地で、11世紀、宋(そう)の欧陽修(おうようしゅう)は『洛陽牡丹記』を著し、30余の品種を取り上げ、なかでも黄花の姚黄(ようこう)や紅花八重の魏花(ぎか)という品種は1芽が銭五千で買われたと記録している。また、洛陽の城内では春、貴賤(きせん)を問わずボタンの花を挿したとも述べている。
[湯浅浩史 2020年5月19日]
文学
ぼうたん、ぼうたんくさ、ともいう。『和漢朗詠集』下「妓女(ぎじょ)」に、白楽天の「春の風は吹き綻(ほころ)ばす牡丹(ぼたん)の花」などという句がみえ、『菅家文草(かんけぶんそう)』巻4「法花(ほっけ)寺白牡丹」に、「色は即(すなは)ち貞白為(た)り、名は猶(なほ)し牡丹と喚(よ)ぶ」とある。『蜻蛉(かげろう)日記』中に、「何とも知らぬ草ども繁(しげ)き中に、牡丹(ぼうたん)草どもいと情けなげにて、花散りはてて立てるを見るにも」、『枕草子(まくらのそうし)』「殿などおはしまさで後」の段に、「台の前に植ゑられたりける牡丹(ぼうた)などのをかしきこと」、『栄花(えいが)物語』「玉(たま)の台(うてな)」には、「高欄高くして、その下に薔薇(さうびん)、牡丹(ぼうたん)、唐瞿麦(からなでしこ)、紅蓮花(ぐれんげ)の花を植ゑさせ給へり」などとあり、前栽(せんざい)の植物として植えられていたことが知られるが、『古今六帖(こきんろくじょう)』や『堀河百首』『永久(えいきゅう)百首』などには歌材や題として掲げられず、歌語とはいえない。もっとも、『古今集』物名(もののな)や『源氏物語』「少女(おとめ)」の六条院の夏の町の前栽の花としてみえる「くたに」を牡丹とする説(ほかに竜胆(りんどう)説など)もあり、「くたに」は歌語となっている。『荘子(そうじ)』を踏まえた牡丹と胡蝶(こちょう)との配合や、これも中国の『牡丹灯記(とうき)』の翻案だが怪談の『牡丹灯籠(どうろう)』などもよく知られる。夏の季題。「牡丹散つてうちかさなりぬ二三片」(蕪村(ぶそん))。
[小町谷照彦 2020年5月19日]