ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(英語表記)Bosnia-Hercegovina

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Bosna i Hercegovina[セルビア・クロアチア],Bosnia and Herzegovina[英]

1992年3月,旧ユーゴスラヴィアから独立した共和国。民族混住地域の典型であり,首都はサライェヴォ。12世紀後半に,中世ボスニア王国がボスニア中部を統一して建国された。14世紀以来,南部地域のヘルツェゴヴィナとともに広義のボスニアとして統治された。15世紀末から約400年間にわたり,一つの州としてオスマン帝国の統治を受けた。1878年のベルリン条約により,行政権がハプスブルク帝国に移され,帝国軍の軍事占領下に置かれた。帝国は正教徒,ムスリムカトリック教徒の間に個別の民族意識が浸透するのを防ぐため「ボスニア人」を形成しようとしたが失敗。1908年にオスマン帝国で青年トルコ革命が生じたのを好機として,ハプスブルク帝国はボスニアを併合。18年に南スラヴの統一国家が建国されると,ボスニア全土はこの国家に含まれた。第二次世界大戦後のユーゴスラヴィア社会主義連邦で,ボスニアは一共和国となった。92年に旧ユーゴスラヴィアからの独立の賛否をめぐり内戦が生じた。3年半に及ぶムスリム,セルビア人,クロアチア人3勢力の凄惨な戦いのあと,95年にデイトン合意和平が成立したが,一つのボスニアを回復する試みはさまざまな困難に直面している。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 の解説

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Bosnia-Hercegovina

バルカン半島西北部の共和国
ムスリム人(イスラーム),セルビア人(セルビア正教),クロアティア人(カトリック)からなり多様である。首都サライェヴォ。15世紀にオスマン帝国の支配下にはいり,19世紀にはセルビアとオーストリアの勢力拡大の焦点となり,第一次世界大戦の導火線となった。戦後はユーゴスラヴィアの一員であったが,1991年のユーゴ解体に伴って92年に独立を宣言。セルビア,クロアティアが介入して内戦が激化した。

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