ボストン(英語表記)Boston

翻訳|Boston

精選版 日本国語大辞典 「ボストン」の意味・読み・例文・類語

ボストン

(Boston) アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州の州都。大西洋に臨む港湾都市で、ニューイングランド地方最大の都市。一六三〇年清教徒が建設。ボストン大学マサチューセッツ大学、近郊にハーバード大学マサチューセッツ工科大学などがあり、独立戦争の史跡に富む。

ボストン

〘名〙 「ボストンバッグ」の略。
※紅顔(1948)〈藤原審爾〉「ボストン一つ携げ〈略〉出かけて行った」

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デジタル大辞泉 「ボストン」の意味・読み・例文・類語

ボストン【Boston】[地名]

米国マサチューセッツ州の州都。大西洋に面する港湾都市。ボストン大学・マサチューセッツ大学・ボストン美術館など教育文化施設が多く、アメリカ独立革命の史跡に富む。人口、行政区61万(2008)。

ボストン【Boston】[書名]

シンクレアの小説。1928年発表。冤罪の疑いがありながら、犯人とされた二人が処刑された強盗殺人事件「サッコ‐バンゼッティ事件」を題材としている。

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改訂新版 世界大百科事典 「ボストン」の意味・わかりやすい解説

ボストン
Boston

アメリカ合衆国北東部,マサチューセッツ州東部の州都で,ニューイングランド最大の都市。人口55万9043(2005)。大西洋の入海マサチューセッツ湾奥部に注ぐチャールズ川河口に,1630年ピューリタンによって建設される。天然の良港に恵まれ植民地時代から漁業と海運業が栄え,今日も合衆国有数の港湾都市。また商工業,文化,教育の中心として,アメリカ史上に有力な地位を占め,19世紀後半には〈世界の中心Hub of the Universe〉と呼ばれた。全国的地位は相対的に低まったが,今日も伝統を誇る古都であるだけでなく,ニューイングランド地方の文化と経済の中枢である。また,ボストンは,ニューヨークを核とし南はワシントンD.C.にいたるメガロポリスの北端に位置し,主要都市とはアムトラックや航空便で結ばれている。

 旧市街地区には狭く曲がった道路やコモンCommonと呼ばれるかつて放牧に使われた共有地が公園として残っており,その周辺には植民地時代と独立革命期の史跡が点在する。市中央部のビーコン・ヒルBeacon Hillには,1795年建設の州庁舎に隣接して,19世紀の富裕な市民の居住地区が保存されている。これら伝統的な都市の景観と対照をなすのが,1950年代末以来の都市再開発によって生まれた超高層ビルや現代的感覚に富む建造物で,保険会社の資金導入で設立されたプルーデンシャル・センターやジョン・ハンコック・タワー,市庁舎やジョン・F.ケネディ連邦ビルを中心とするガバメント・センターに代表される。文化と学術の都市ボストンには,多くの文化施設と大学がある。ボストン公立図書館,東洋美術収集で名高いボストン美術館ボストン交響楽団とシンフォニー・ホールなどはいずれも19世紀後半に設立され,19世紀の文化的隆盛を物語っている。チャールズ川を隔てて隣接するケンブリッジにはアメリカ最古の大学ハーバードやマサチューセッツ工科大学があり,ボストン市内にはボストン大学やノースイースタン大学ほか約20校が存在する。大都市圏内には,このほか数多くの高等教育機関がある。近年のボストンにおける医療施設と関連産業の発達,あるいはボストン外環部に成長したエレクトロニクス産業は,大学の研究成果とそこで養成された人材に負うところ大といわれている。

ボストンの歴史は3期に大きく分けることができる。第1期は植民地時代から1830年代までで,貿易・通商を中心とし,第2期は1930年代までで,合衆国西部の開発と工業化に対応して発展した。第3期は第2次大戦と今日にいたるボストンである。ジョン・ウィンスロップに率いられて移住したピューリタンは,イギリス本国の故郷の地名にちなむボストンを建設して,1632年マサチューセッツ湾会社の政府所在地にした。南部や中部の植民地のように豊かな農作物は得られなかったが,魚類,木材,造船資材などの輸出により海運業を発達させ,やがてボストンは本国や西インド諸島をはじめ広域貿易の根拠地として,富を獲得した。18世紀半ばには植民地第1の都市に発達したが,本国による植民地支配の強化には激しく抵抗し,独立革命では愛国派の拠点として指導的役割を果たした。ボストン茶会事件や近郊のレキシントン・コンコードの戦は,これを示している。独立戦争の結果,対英貿易が衰えると中国やロシアとの貿易にのりだし,市民は東洋への関心をいだくようになる。商人層の優勢なボストンでは厳格なカルバン的信仰が薄れたが,ピューリタニズムは道徳として影響力を保持した。ここに抜けめない営利の才をもち,しかも節制を重んじるニューイングランドの市民気質,すなわちヤンキー気質が養われた。教義上は自由を尊重するユニテリアン派が台頭したが,個人の良心や公共に対する責任感の重視,知的営為の尊重など,ピューリタンの伝統が継承された。かかる風土からエマソンらによるトランセンデンタリズム超越主義)などの知的・精神的活動がやがて引き起こされる。

 第2期もボストンの商都としての性格は失われないが,その資本が製造業に投資される。その好例が木綿工業の発達である。西部の開発にもボストンの資本は投資されるが,ニューヨークやシカゴに対抗できず,影響力は漸次弱まった。しかし19世紀半ば以降の多量のアイルランド移民の流入,それに次ぐフランス系カナダ移民,イタリア移民などの新労働力を用いて工業化が促進され,製靴や皮革をはじめ諸産業が市と近郊で栄えた。西部の発展や,移民の流入と工業化とによる都市の変容は市民に文化的伝統への自覚をうながし,多くの文化的施設ができ,ヤンキー文化の振興が図られた。沼沢地を埋め立て旧市民のために新しい住宅地も生まれた。しかしカトリック移民の流入で多様化が進行し,ケネディ家のようにアイルランド系市民は市政に勢力を伸ばした。第1次大戦後,紡績は南部に,皮革は西部に移動したが,電気器具など加工業が興り,また第2次大戦後は伝統的金融業にならんでサービス産業が急増し,都市の活力を養っている。都市再開発は,新しい都市の活動のニーズにこたえる大事業であった。一方,1960年代以降の公民権運動の余波は,他の大都市に比して黒人人口比率の低いボストンにも及んだ。74年には,公立学校における人種統合教育のためのバス通学をめぐって,暴動を伴う緊張が高まった。
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ボストン
Boston

イギリス,イングランド東部,リンカンシャー南東部にある商業・港湾都市。地名は654年にこの地に修道院を建設したセント・ボトルフSt.Botolphにちなむ。古称ボトルフス・タウン。人口2万7000(1985)。ウォッシュ湾に流入するウィザム川の河口近くに位置し,周辺の肥沃な農業地帯の中心地として牛などの交易が盛んで,農業機械,農産加工などの工業や貝類の漁業もみられる。13世紀にはハンザ同盟の港町として羊毛,ワインの取引で繁栄し,イングランドではロンドンに次ぐ貿易港に発展,1545年に自治都市となった。しかしその後,河川の沈泥で港湾機能が低下したため衰退した。17世紀にはJ.コットンら多くのピューリタン指導者がこの地から新大陸へ移住し,ニューイングランドに同名の都市が建設された。セント・ボトルフ教会には高さ83mの頂塔がある。
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百科事典マイペディア 「ボストン」の意味・わかりやすい解説

ボストン

米国,マサチューセッツ州東岸の港湾都市。商工業・文化都市でもあり,同州の州都。州のみでなく,ニューイングランドの中心都市で,綿織物,毛織物,衣服,靴,電気器具,家具,印刷など消費財工業が盛ん。米国有数の良港で原料品を輸入,繊維製品,機械類などを輸出,また漁港は全米第1の規模をもつ。古い伝統をもつ商取引・文化の中心で,ボストン美術館,ボストン大学,ローガン国際空港があり,近郊のケンブリッジにハーバード大学(1636年創立),マサチューセッツ工科大学(MIT。1865年創立)がある。毎年4月開催のボストン・マラソンは有名。1630年ジョン・ウィンスロップ率いるピューリタンが創設。1773年のボストン茶会事件などにみられるようにアメリカ独立革命の中心地だった。61万7594人(2010)。
→関連項目マサチューセッツ[州]

ボストン

米国のテンポの遅いワルツ。1870年ごろ出現し1920年代にヨーロッパで普及。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボストン」の意味・わかりやすい解説

ボストン
Boston

イギリスイングランド東部,リンカーンシャー県南東部の都市。周辺を含めてボストン地区を構成する。県都リンカーンの南東約 45km,北海のウォッシュ湾に注ぐウィザム川河口から約 7km上流に位置する。7世紀中頃の修道院建設に始まり,13世紀にはハンザ同盟の港として羊毛とワインを扱い,ロンドンを上回る税を払っていた。16世紀,修道院と貿易ギルドが解体され,ウィザム川にシルトが堆積して港湾機能が低下するとともに衰退したが,18世紀中頃浚渫によって港湾が復活。今日ではフェン地方の豊かな農業地帯を背後に控えて,おもに農産物を積み出す。食品加工を中心とした工業も行なわれる。塔の高さ 83mの聖ボトルフ聖堂はアメリカ合衆国のボストン市民によって 1857年に修復された。地区面積 360km2。地区人口 5万5739(2001)。都市人口 3万5124(2001)。

ボストン
Boston

アメリカ合衆国,マサチューセッツ州の州都。歴史的にも文化や経済のうえでも,ニューイングランドの中心都市。マサチューセッツ湾にのぞみ,1620年代から清教徒が入植,湾岸沿いの植民地の中心地となった。アメリカ独立運動の拠点となり,1773年のボストン茶会事件で知られる。現在のボストンは,銀行,保険など金融業の中心であり,国内最大の羊毛市場である。毛織物,綿織物の大産地であり,エレクトロニクス,衣料,印刷などの工業も発達。付近のグロスターとともに漁港であり,造船業も盛んである。移民の流入が続き,生活が安定すると市域外に流出する傾向がある。ボストン大学 (1869創立) ,ボストン美術館があり,1881年に創設されたボストン交響楽団は世界的に有名である。チャールズ川対岸のケンブリッジとともに,古きアメリカの学問,文化の中心であり,独立運動に関する史跡や博物館も多く,観光地としても有名。人口 61万7594(2010)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ボストン」の解説

ボストン
Boston

アメリカ,マサチューセッツ州の中心都市。植民地時代に商港として発展,アメリカの独立前夜にはイギリスとの闘争の中心地の一つであった。19世紀になって商港としての重要性は相対的に低下した。

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世界大百科事典(旧版)内のボストンの言及

【アメリカ合衆国】より

…ニューイングランドは歴史的・地理的に一体性の強い地方で,1614年この地方を探検したジョン・スミスによりニューイングランドと名づけられた。20年プリマスに渡来したピルグリム・ファーザーズが初めて入植に成功,30年にはジョン・ウィンスロップを総督とするピューリタンの一団が,ボストンを中心にマサチューセッツ湾植民地を建設した。これに次ぐ10年間に聖職者を含むピューリタンが多数渡来,発展の基礎をつくった。…

※「ボストン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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