ホー・チ・ミン(読み)ホーチミン(英語表記)Ho Chi Minh

翻訳|Ho Chi Minh

百科事典マイペディア 「ホー・チ・ミン」の意味・わかりやすい解説

ホー・チ・ミン

ベトナムの政治家。漢字では胡志明。少年時代から反仏運動に参加。1911年渡欧し,フランス共産党入党。のちソ連に行きコミンテルンで活動,1924年中国に派遣され,1925年ベトナム青年革命同志会を組織し,これを母体に1930年インドシナ共産党(後にベトナム労働党)を結成。第2次大戦中ベトミンを率いて反仏抗日戦を指導。独立とともにベトナム民主共和国大統領(1945年―1969年)兼首相(1945年―1955年)。党・政府の最高指導者として国際政治にも重きをなした。第2次大戦前グエン・アイ・クオック(阮愛国)の名で知られた。
→関連項目ファム・バン・ドンベトナム共産党ボー・グエン・ザップポル・ポト

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホー・チ・ミン」の意味・わかりやすい解説

ホー・チ・ミン
Ho Chi Minh

[生]1890.5.19. ナムダン,キムリエン
[没]1969.9.3. ハノイ
ベトナムの政治家。ベトナム共産党創立者,北ベトナム国家主席。幼名はグエン・タット・タン。父は農民出身の文人学者。 1911年ヨーロッパに渡り,フランスを拠点にしてグエン・アイ・クォク (阮愛国) の名で植民地解放運動に従事。 20年フランス共産党創立に参加,コミンテルンで植民地独立闘争を指導。 24年広東に渡り青年革命同志会を組織,25年以来中国を根拠地としてベトナム革命に献身し,30年2月3日ホンコンでベトナム共産党 (のちインドシナ共産党と改称) を創立。 41年2月に 30年ぶりにベトナムへ帰国。同年5月ベトナム独立同盟会 (ベトミン ) を結成,このときから中国名のホー・チ・ミン (胡志明) を使うようになった。 45年8月日本降伏直後に総蜂起を敢行し,9月2日ベトナム民主共和国独立を宣言,初代主席となり,ホーおじさん Bac Hoの名で人民に敬愛された。その後第1次インドシナ戦争 (1946~54) に勝ち,続いて 59年からベトナムの独立と社会主義を守る抗米救国の戦争を指導し,抗戦下の 69年死去。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ホー・チ・ミン」の解説

ホー・チ・ミン
Ho Chi Minh

1890?~1969

ベトナム建国の父。パリに在住していた1919年,パリ講和会議にグエン・アイ・クォック(阮愛国)名でベトナム人の地位向上の請願提出。その後フランス共産党の結成に加わり,コミンテルンの活動家として活躍。25年にベトナム青年革命同志会を組織し,これを基礎に30年にベトナム共産党を結成。41年に帰国してベトナム独立同盟を組織し,45年のベトナム民主共和国独立を導く。同国初代大統領(在任1945~69)としてインドシナ戦争ベトナム戦争を指導した。

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367日誕生日大事典 「ホー・チ・ミン」の解説

ホー・チ・ミン

生年月日:1890年5月19日
北ベトナムの政治家
1969年没

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