ホール(Stuart Hall)(読み)ほーる(英語表記)Stuart Hall

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ホール(Stuart Hall)
ほーる
Stuart Hall
(1932―2014)

ジャマイカキングストンに生まれ、イギリスで活動した社会学者、批評家。その活動はカルチュラル・スタディーズに多大な影響を及ぼした。1951年奨学金を得てイギリス、オックスフォード大学に留学。同大学院に進み、その間にスターリニズム帝国主義への批判の姿勢を強め、ニュー・レフトの運動にかかわる。『ユニバーシティーズ・アンド・レフト・レビュー』The Universities and Left Review誌の編集を務めると同時に、1957年にロンドンに移り、中学校の補助教員となり、1959年から『ニュー・レフト・レビュー』New Left Review誌の編集長を務める。教条的マルクス主義を批判しながら、ロラン・バルト記号論、アントニオ・グラムシのヘゲモニー論、アルチュセールをはじめとするフランスの構造主義ポスト構造主義の思潮を英語圏に紹介。従来の古典的なマルクス主義が目を向けなかったテレビやポピュラー・カルチャーなどのマス・メディアの諸問題にも積極的にかかわり、現代文化とイデオロギー再生産との連関のメカニズムの解明を試みる。

 1961年に『ニュー・レフト・レビュー』誌を離れ、ロンドン大学チェルシー・カレッジでメディア、映画、ポピュラー・カルチャーについて教える。このころの映画やテレビ研究を、『ザ・ポピュラー・アーツThe Popular Arts(1964年、共著)として発表。1964年にバーミンガム大学現代文化研究センターの初代センター長だったホガートRichard Hoggart(1918―2014)に招聘(しょうへい)されて同センターに赴任、1968年から同センター長を務める。メディアとイデオロギー、サブカルチャー、若者文化、教育など、当時のイギリスが直面する問題に取り組み、理論的、実践的な活動を行った。それらの研究は、送り手が一方的に受け手に伝送するという従来のメディア観を批判的に検討し、送り手によりエンコード(記号化)されたメッセージと、受け手によりデコード(記号解読)された読みの多様性との抗争の場としてメディアをとらえた論文「テレビの言説におけるエンコーディングデコーディングEncoding and Decoding in the TV Discourse(1973年。のちにEncoding/Decodingに改題)や、モッズ(1960年代ロンドンで若者に流行したファッション・音楽スタイル。名前はモダンズmodernsからきている)、テッズ(エドワード7世時代の貴族的ファッションとリズム・アンド・ブルースをあわせた、おもに1950年代イギリスの労働者階級の若者たちの間で流行したファッション・音楽スタイル。テディ・ボーイズTeddy Boysの略)、パンク、レゲエといったサブカルチャーにおける多様なスタイルのなかに社会や政治、両親の文化、職場、学校といった体制や権力への「抵抗」の可能性をみいだそうとした『儀礼を通じた抵抗』Resistance through the Rituals(1976年、共著)などに結実した。また、「マギング(強盗)」とよばれたストリート犯罪がどのようにイギリス社会にパニックをもたらし、メディアの報道により黒人の若者が犯罪者としてステレオタイプ化されていったかを指摘した論文集『ポリーシング・ザ・クライシス』Policing the Crisis(1978年、共著)など、サッチャー政権下、移民に対する人種差別政策が進められるなかで人種問題の理論化を試みた。ホールは数多くの著書を発表したが、その多くはその時々の状況や事象に応じて複数の人間とともに取り組んだ共同作業である。このことは、意見の矛盾や不一致も含めて、いかに政治的介入を試みるために活発な論議がなされたかを示唆するものでもある。

 1979年にバーミンガム大学現代文化研究センターを離れオープン・ユニバーシティ(おもに社会人向けの放送公開大学)へ転任。以後も論文「ザ・グレイト・ムービング・ライト・ショー」The Great Moving Right Show(1979)、論文集『ザ・ハード・ロード・トゥ・リニューアル』The Hard Road to Renewal(1988)、1980年代以降の黒人表現文化にみる新しい形態のエスニシティについて記した論文「ニュー・エスニシティーズ」New Ethnicities(1992)や、「〈新時代〉の意味」The Meaning of New Times(1996)をはじめ、グローバル化と文化的アイデンティティに関する数多くの論文を発表。人種、文化、国家の諸問題に正面から介入し、ディアスポラ(もともとはユダヤ人の離散を示すことばだが、1980年代以降の文化研究、社会理論、ポスト・コロニアリズムの文脈において新たな意味を獲得している。自らの起源、ルーツからの離脱、あるいは流浪の身にありながら、依然として自らのルーツに文化的、政治的、倫理的な強い結びつきをもち、それによって社会的連帯を志向する人々およびその概念)やアイデンティティの文化研究の新たな視座を切り開いた。1997年オープン・ユニバーシティを退職。その後も論文執筆や講演など活発な活動を続けた。

[清水知子 2015年7月21日]

『Stuart Hall, Paddy WhannelThe Popular Arts(1964, Hutchinson, London)』『Stuart Hall, Tony JeffersonResistance through Rituals(1976, HarperCollins, London)』『Stuart Hall et al.Policing the Crisis(1978, Macmillan, London)』『The Great Moving Right Show(in Marxism Today, January 1979, Communist Party of Great Britain, London)』『Encoding/Decoding(in Culture, Media, Language; Working Papers in Cultural Studies, 1972-79, 1980, Hutchinson, London)』『The Empire Strikes Back(in New Socialist, July/August, 1982, Labour Party, London)』『The Hard Road to Renewal(1988, Verso, London)』『New Ethnicities(in Culture, Globalization and the World System, 1991, Macmillan, London)』『The Meaning of New Times(in Stuart Hall Critical Dialogues in Cultural Studies, 1996, Routledge, London/New York)』『小笠原博毅著「文化と文化を研究することの政治学」(『思想』1997年3月号所収・岩波書店)』『「総特集スチュアート・ホール」(『現代思想』1998年3月臨時増刊号・青土社)』『グレアム・ターナー著、溝上由紀他訳『カルチュラル・スタディーズ入門――理論と英国での発展』(1999・作品社)』『上野俊哉・毛利嘉孝著『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書)』

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