ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホンタイジ(皇太極)」の意味・わかりやすい解説
ホンタイジ(皇太極)
ホンタイジ
Hongtaiji
[没]崇徳8(1643).8.9.
中国,清朝の第2代皇帝 (在位 1626~43) 。姓はアイシンギョロ (愛新覚羅)。諡は文皇帝。廟号は太宗。ヌルハチ (奴児哈赤)の第8子で生母はエホナラ (葉赫納喇) 氏。天命1 (16) 年に和碩貝勒に任じられ,長兄のダイシャン (代善) らとともに四大貝勒の一人として国政に参加,ドゥイチベイレ (第四貝勒) と称された。ヌルハチの没後にダイシャンを退けて汗位につき,年号を天聡と定め,遼東半島の平定,文館,六部,理藩院,都察院などを設置し,内政に努めた。天聡9 (35) 年に内モンゴルを平定し,チャハル部族長から「大元伝国の璽」を献上されると,それまでの満州人中心的な国号「後金」を「大清」と改めて皇帝位につき,崇徳と改元した。そののち李氏朝鮮を平定して朝貢国とする一方,しばしば中国本土に侵入したが,崇徳8 (43) 年に急死した。ホンタイジはその1代で清朝の中国支配の基礎を確立したといえよう。
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