ホイットワース(読み)ほいっとわーす(英語表記)Sir Joseph Whitworth

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホイットワース」の意味・わかりやすい解説

ホイットワース
ほいっとわーす
Sir Joseph Whitworth
(1803―1887)

イギリスの機械技術者。ストックポートに生まれる。14歳のとき叔父の紡績工場に入り、4年間働いたのち、前から希望していた機械製作の仕事を始めた。1825年にモーズリー弟子となり、クレメントの工場で働いて機械技術を身につけた。1833年にはマンチェスターに工場を建てて、工作機械や測定器の製作、研究を始めた。ここでつくられた各種の工作機械や度量衡の研究により、彼の工場は短期間に名声を得た。1840年、3枚を1組として、世界最初の真平面を実現した定盤(じょうばん)を発明した。この定盤は平面を製作する場合の標準面として、今日に至るまで機械工場で使用されている。また、ねじの寸法統一を考え、1841年に標準寸法を提案し、イギリス工業規格制定協会に採用された。以後長い間ねじの標準寸法として各国で採用された。さらにマイクロメーターによって長さを精密に測定する研究を行い、1万分の1インチ(約0.0025ミリメートル)まで測定のできる測長機をつくった。ほかに円筒の内径や外径を測定するプラグゲージリングゲージも考案した(1856)。1851年ロンドンで開催された第1回万国博覧会旋盤平削り盤ボール盤剪断(せんだん)機、ねじ切り旋盤、歯切り盤ナット製造機など多数の工作機械を出品した。さらにライフル銃改良を考え、銃腔(じゅうこう)に旋条を刻んだ小銃をくふうした。1867年パリの万国博覧会でイギリスの技術の遅れを知り、奨学金を提供して技術教育に貢献した。彼の企業は1874年に改組され、1897年にアームストロング社と合併した。

[中山秀太郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「ホイットワース」の意味・わかりやすい解説

ホイットワース
Joseph Whitworth
生没年:1803-87

イギリスの機械技術者。ストックポートの生れ。14歳でダービーシャーの叔父の綿紡績工場で働き始め,この間に機械製作についての技術を学ぶ。1825年,ロンドンに出てH.モーズレーの工場で働く。33年マンチェスターで工作機械工場を設立,旋盤やボール盤,フライス盤,平削り盤など各種の工作機械を次々とつくり,以後20年以上にわたり機械工作技術の発明,改良においてイギリスで指導的役割を果たした。なかでも真平面3枚1組による定盤製作法の発明(1840),現在のウィットねじの基礎となった標準ねじの提案(1841),マイクロメーターの基となった測長器,プラグゲージやリングゲージの発表など,精密測定器具とそれに基づく標準製作システムの基本をつくりあげた功績は大きい。51年ロンドン万国博を通じ,彼の発明は世界に知られ,彼自身もニューヨーク万国博には使節委員に任命されアメリカ工業を視察した。54年軍からマスケット銃製作工場設立を依頼され銃生産にも進出し,57年六角形の銃腔のライフル(ホイットワース銃)を開発,飛弾距離,正確性,貫通力ともに従来のエンフィールド銃をしのいだ。56年王立機械学会会長,57年ローヤル・ソサエティ会員に選ばれ,69年には準男爵に叙せられた。また彼の財産は機械技術者養成のための奨学金や技術教育改善事業,慈善事業に投ぜられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホイットワース」の意味・わかりやすい解説

ホイットワース
Whitworth, Sir Joseph, Baronet

[生]1803.12.21. チェシャー,ストックポート
[没]1887.1.22. モンテカルロ
イギリスの機械技術者。マンチェスターで機械工をしていたが,1825年ロンドンに出て,正確な平面研磨法を開発。 33年マンチェスターに戻り,工具工場を開いた。彼の工場で製作される工作機械は,規格が厳密で部品交換ができるのが特徴で,近代工作機械の基本を確立した。特にボルト,ナットに使った「ホイットワースねじ」は現在も通用するねじ規格である (JISでは「ウィットねじ」と呼ぶ) 。このような正確な工作機械で小銃,大砲製作分野に進出した。 68年「ホイットワース奨学金」を創設,貧しい技術志望者に,高等教育への道を開いた。 69年准男爵に叙せられた。

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百科事典マイペディア 「ホイットワース」の意味・わかりやすい解説

ホイットワース

英国の機械技術者。1833年工作機械工場を興し,旋盤その他新型の工作機械を製造したほか,定盤,測長機,円筒ゲージなどを考案し,精密工作法の基本を確立した。1841年には,ウィットねじの基礎となった,ねじ標準規格を提唱。
→関連項目モーズレー

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世界大百科事典(旧版)内のホイットワースの言及

【ゲージ】より

…加工部品の互換性が必要となり,精度も高くなってくると線を合わせる測定では満足できないようになった。ホイットワースJoseph Whitworth(1803‐87)は,1856年インチ標準ブロックをマイクロメーター式測長器とともに作り,端面を触って行う測定を普及させていった。57年には,基準として同種のものではなく,工作物と対になる逆の形のもの,すなわち穴に対しては円柱,軸に対しては輪,いいかえれば図1に示すようなプラグゲージとリングゲージとを用いることによって比較できるようにした。…

【限界ゲージ】より

…1798年にアメリカでホイットニーEli Whitney(1765‐1825)が互換性を考えた生産方式を取り入れ大量生産方式の基礎を作った。それが19世紀の中ごろイギリスのホイットウァースJoseph Whitworth(1803‐87)の働きによって重要な意義をもつようになった。 限界ゲージは穴,または軸の最大許容寸法を基準とした測定端面と,最小許容寸法を基準とした測定端面とをもつゲージである。…

【ゲージ】より

…加工部品の互換性が必要となり,精度も高くなってくると線を合わせる測定では満足できないようになった。ホイットワースJoseph Whitworth(1803‐87)は,1856年インチ標準ブロックをマイクロメーター式測長器とともに作り,端面を触って行う測定を普及させていった。57年には,基準として同種のものではなく,工作物と対になる逆の形のもの,すなわち穴に対しては円柱,軸に対しては輪,いいかえれば図1に示すようなプラグゲージとリングゲージとを用いることによって比較できるようにした。…

【限界ゲージ】より

…機械部品の寸法が,許容できる誤差の範囲内に入っているかどうかを検査するためのゲージ。機械の製造は多数の部品に分け,それぞれ独立に加工し組み立てている。製造数が少数の場合は,組立てのとき部品が合わなければ寸法の狂いを修正して組み上げることができる。中・多量生産になると,まったく独立に加工した多数の部品の中から任意に抜き取り,そのまま組み立てることができることが望ましい。また,一部品が破損して交換するとき,単にはめかえただけで組み立てられることが望ましい。…

【ねじ】より

…一方,従来困難であっためねじの製作は,モーズレーの工場で働いていたクレメントJoseph Clement(1769‐1844)が作ったタップの利用により,飛躍的に容易となった。現在のものと変わらないねじ切り旋盤をつくり,これによって締結用ねじおよび運動用ねじの大量生産の技術を確立したのは,これまたモーズレーの弟子であったJ.ホイットワースである。彼はさらにそれまで各自がばらばらに製造していたねじを規格化することを試み,彼の提案に基づいて1841年ウィットねじと呼ばれるねじ規格が制定された。…

※「ホイットワース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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