ペン(Irving Penn)(読み)ぺん(英語表記)Irving Penn

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ペン(Irving Penn)
ぺん
Irving Penn
(1917―2009)

アメリカの写真家。ニュー・ジャージー州生まれ。フィラデルフィア美術大学在学中から、高名なアート・ディレクターであるアレクセイ・ブロドビッチAlexey Brodovitch(1898―1971)の下で『ハーパーズ・バザー』Harper's Bazaar誌で働く。初めて同誌に掲載された靴のイラストの原稿料でペンはローライフレックス・カメラ(ドイツ、ローライ社の二眼レフカメラ)を購入し、ニューヨークの街を撮りはじめた。1938年、同大学卒業後、フリーランスの時期を経て、グラフィック・アーティストとしてビバリー・ヒルズのサックス・フィフス・アベニューデパートでブロドビッチとともに働いた。その後、1942年メキシコで絵画に没頭した1年を過ごした後、アート・ディレクターのアレグザンダー・リーバーマンAlexander Liberman(1912―1999)に誘われ、1943年から彼のアシスタントとして『ボーグ』誌で働く。ペンが写真家としてのキャリアを築くのは、『ボーグ』誌で働きはじめてすぐのことである。ペンはリーバーマンから『ボーグ』の表紙をまかされ、さまざまなアイデアを当時の『ボーグ』の写真家たちにもっていった。『ボーグ』で活躍していたのはホルスト・P・ホルストHorst P. Horst(1906―1999)やアーウィン・ブリューメンフェルドErwin Blumenfeld(1897―1969)、セシル・ビートン等々、ファッション写真史に名を残すそうそうたる写真家たちであった。しかし彼らは若いアシスタントの相手をするには忙しすぎた。困ったペンが相談したリーバーマンの提案は、それではペン自身が撮影すればいいだろう、というものであった。ファッション写真家、アービング・ペンの誕生である。

 当時のファッション写真の主流は、モデルをヒロインに見立て、何らかのストーリーを喚起させるような大がかりな舞台的演出に、ドラマティックな効果を狙ったライティングによる写真であった。対してペンは自然光に近いタングステン・ライトを使い、ストーリーではなく、被写体そのもののもつ線や質感、色や形を際立たせて存在感を伝える、シンプルで洗練されたライティングを施した。リーバーマンは後にこうしたペンの写真の特徴を「冴えた静謐(せいひつ)感」と呼んでいる。『ボーグ』の表紙を初めて手袋やバック、スカーフといった静物だけの写真が飾ったのは1943年10月1日号、ペンによる最初の表紙写真であった。その後彼は、表紙の写真を165回担当するが、興味を徐々にポートレートに移していった。

 彼の被写体は、静物、ファッション、有名人のポートレート、ヌード、ストリート、花、煙草吸殻、アフリカやオーストラリアの小部族の人々など多岐にわたっているが、その一つ一つがほかの誰の作品ともまごうことない彼独自の世界に昇華されているのである。

 ペンの写真を特徴づけるのは、ライティングであり空間構成である。それは1948年に制作された彼の初期のポートレートによく表されている。モデルになったのは作家トルーマン・カポーティ、画家マルセル・デュシャン、画家ゲオルク・グロッス、ボクサーのジョー・ルイス、画家チャールズ・シーラー、オートクチュールを着たモデルたちといった、時代の寵児たちである。彼らはペンのスタジオで、古びた二面の可動壁で囲まれた隅に押し込まれて窮屈げに所在なげに立っている。被写体の功績を示唆するような、絵だとか本、机といった小道具は一切ない。時代の花形である彼らの存在、彼らが着ている高価な背広やオートクチュールと、スタジオの空間のそっけなさが好対照をなして、被写体の生の存在感を際立たせている。それは「孤独なポートレート」と呼んでもいいような写真である。

 彼の作品は、ファッション写真からヌード、静物、ポートレートなど多くの分野に及ぶ。ペンは、写真の視覚を飽くことなく探究した完璧主義者である。

[笠原美智子]

『Irving Penn; A Career in Photography (1997, Little Brown, Boston)』『Still Life (2001, Little Brown, Boston)』『Dancer (2002, Nazräli Press, München)』『Maria Morris Hambourg ed.Earthy Bodies; Irving Penn's Nudes, 1949-1950 (2002, Little Brown, Boston)』『「アーヴィング・ペン自選展」(カタログ。1997・ウイルデンスタイン東京)』『コリン・ウェスターベッグ編、三宅一生ほか著「アーヴィング・ペン全仕事」(カタログ。1999・東京都写真美術館・朝日新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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