ペブスナー
Pevsner, Sir Nikolaus
[生]1902.1.30. ライプチヒ
[没]1983.8.18. ロンドン
ドイツ生れのイギリスの美術史家,建築史家。ドレスデン国立美術館に勤務,ゲッティンゲン大学の講師となったが,ナチスの圧迫により 1934年にイギリスに渡り,のちにケンブリッジ大学およびロンドン大学の美術史教授。ペンギン書店の『ペリカン美術史』 Pelican History of Artシリーズや『アーキテクチュラル・レビュー』 Architectural Review誌編集委員,寄稿者の一人。主著『モダンデザインの展開』 Pioneers of Modern Design (1936) ,『ヨーロッパ建築概観』 An Outline of European Architecture (43以後,改訂版多数) ,『美術・建築・デザインの研究』 Studies in Art,Architecture and Design (68) ,『各種建造物の歴史』A History of Building Types (76) 。
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ペブスナー
Antoine Pevsner
生没年:1886-1962
ロシア出身の彫刻家。オリョール生れ。最初絵画を学び,パリにも旅行したが,革命後弟のガボの影響を受けて彫刻を制作。1920年生産芸術派に反対してガボの書いた〈リアリズム宣言〉に署名するが,22年ベルリンのロシア美術展に際して出国,翌年パリに定住,以後金属によるダイナミックな構成の抽象彫刻を制作,ガボとともに西欧構成主義の代表作家となる。32年〈抽象・創造(アプストラクシヨン・クレアヨン)〉グループに参加する。
執筆者:宮島 久雄
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世界大百科事典(旧版)内のペブスナーの言及
【構成主義】より
…同年ロドチェンコらは,社会主義国家建設に際して芸術の果たすべき役割は直接生産活動に参加することだとして生産主義芸術proizvodstvennoe iskusstvoを唱えた。これに同意できなかった[A.ペブスナー]と[N.ガボ]の兄弟はフランスとドイツに亡命し,生涯構成主義の彫刻を作り続けた。生産主義的構成主義者は芸術技術者としていすやランプなどの実用品,ポスター,舞台装置のデザイン,写真などを手がけ,なかには[リシツキー]のようにロシアのほかドイツやスイスで活躍した人もいる。…
※「ペブスナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」