ベーリング(英語表記)Vitus Jonassen Bering

精選版 日本国語大辞典 「ベーリング」の意味・読み・例文・類語

ベーリング

[一] (Emil Adolf von Behring エミール=アドルフ=フォン━) ドイツの細菌学者。伝染病血清療法の理論を確立。ジフテリアおよび破傷風の血清療法を開拓した。一九〇一年ノーベル生理学医学賞を受賞。(一八五四‐一九一七
[二] (Ivan Ivanovič Bjering イワン=イワノビチ━) デンマーク生まれのロシアの探検家。一七二八年ベーリング海峡を初めて航行した。(一六八一‐一七四一

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デジタル大辞泉 「ベーリング」の意味・読み・例文・類語

ベーリング(Emil Adolph von Behring)

[1854~1917]ドイツの細菌学者。北里柴三郎とともに破傷風菌ジフテリア菌抗毒素血清を作製。1901年ノーベル生理学医学賞受賞。

ベーリング(Vitus Jonassen Bering)

[1681~1741]ロシアの探検家。デンマーク生まれ。カムチャツカ探検隊の隊長となり、1728年にベーリング海峡に達し、アジアアメリカ陸続きでないことを確認した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベーリング」の意味・わかりやすい解説

ベーリング
Vitus Jonassen Bering
生没年:1681-1741

デンマーク生れのロシアの探検家,航海家。1703年以後,ピョートル1世治下のロシア艦隊に勤務し,24年大尉として分遣艦隊司令に任命された。25年アジア大陸とアメリカ大陸の間の海峡(今のベーリング海峡)有無の確認を目的とする第1次カムチャツカ探検(1725-30)の隊長をつとめた。その結果が不十分であるとして,33年第2次カムチャツカ探検隊が編成され,その長を命ぜられた。多くの専門家を動員した大規模なもので,シベリア,北氷洋岸,北太平洋の調査と,日本への航路の探検が進められた。41年7月17日,ベーリングの乗船した聖ピョートル号はアラスカ海岸に到着,またアレウト列島の一部を発見した。帰途,無人島(今のベーリング島)で越冬中病没した。
シベリア探検
執筆者:

ベーリング
Emil von Behring
生没年:1854-1917

ドイツの細菌学者。血清療法の創始者として有名。ハンスドルフ(現,ポーランド)に生まれ,ベルリン大学で医学を学ぶ。卒業後,陸軍軍医となり,1888年にはベルリンの軍医学校教官となったが,翌年,ベルリン大学衛生学研究室に移り,R.コッホの助手となって細菌学の研究に従事。北里柴三郎とともに,ラットを用いて,ジフテリアと破傷風抗毒素血清の単離,同定に成功した。この業績はその後の免疫学に大きな影響を与え,これにより1901年ベーリングはノーベル医学・生理学賞を授与された。1891年ベルリンに伝染病研究所が新設されると,コッホに従ってここに移り,その後,ハレ大学衛生学教授,マールブルク大学教授を歴任した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベーリング」の意味・わかりやすい解説

ベーリング
Behring, Emil von

[生]1854.3.15. ハンスドルフ
[没]1917.3.31. マールブルク
ドイツの細菌学者,免疫学者。 1877年ベルリンで医師の資格を得,軍医となり,88年ベルリンの陸軍医科大学講師。 89年ベルリンのコッホ伝染病研究所助手となり R.コッホに師事。翌年北里柴三郎とともに破傷風の血清療法を創案,90年 12月3日「破傷風抗毒素血清」を共同研究として発表,その1週間後にはベーリング単独でジフテリアの血清療法を公にした。ジフテリア抗毒素は 92年市販された。またヘクスト社が提供した研究所で結核の研究を続け,ウシ結核の免疫ワクチン (ボボワクチン bovovaccine) を創成した。 1901年ジフテリア血清療法の研究に対して,最初のノーベル生理学・医学賞が贈られた。主著『免疫血清療法』 Die Blutserumtherapie (1892) ,『破傷風病原論』 Ätiologie des Tetanus (1904) 。

ベーリング
Bering, Vitus Jonassen

[生]1681
[没]1741.12.19.
デンマーク生れのロシアの航海者。 1703年ロシア海軍に入り,24年までバルト海,アゾフ海艦隊に勤務。 25年第1次カムチャツカ遠征隊 (1725~30) 隊長に任じられた。この遠征の目的はアジアとアメリカの間が地峡か海峡かという謎を解決するためで,彼はのちにベーリング海峡と呼ばれる海峡を通過したが,このときにはそれに気づかず,謎を解くことはできなかった。 33年からの第2次カムチャツカ遠征ではシベリアを横断し,カムチャツカに達し,そこから北アメリカ沿岸に到達した (41) 。その間アリューシャン列島の一部を発見したが,その帰途,のちに彼の名で呼ばれることとなる島で越冬中飢餓と寒さのため死没。

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百科事典マイペディア 「ベーリング」の意味・わかりやすい解説

ベーリング

ドイツの細菌学者,免疫学者。初めは軍医。ベルリン大学でコッホに師事し,のちハレ,マールブルク両大学の教授。北里柴三郎らと協力してウサギやヒツジなどで,破傷風やジフテリアに対する抗血清をつくらせることに成功,それが他の動物にも有効であることを示し,血清療法の道を開いた。1901年ノーベル生理医学賞。
→関連項目ジフテリア血清

ベーリング

デンマーク生れの航海者,探検家。ロシア海軍に入り,ピョートル大帝の命をうけて1725年―1730年にカムチャツカ海域の探検を指揮し,アジアとアメリカ大陸の間に海峡(ベーリング海峡)があることを確認した。
→関連項目ウナラスカ[島]コマンドル[諸島]セント・ローレンス[島]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベーリング」の解説

ベーリング
Vitus Jonassen Bering

1681~1741

デンマーク生まれのロシアの探検家。ピョートル1世の知遇を得てロシア海軍に勤務し,2回にわたるカムチャツカの探検を行い,1728年にはベーリング海峡を発見した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ベーリング」の解説

ベーリング
Vitus Jonassen Bering

1681〜1741
ロシアの探検家
デンマーク生まれ。ピョートル1世の命でシベリア東海岸を探検し,ベーリング海峡を発見。のちカムチャツカ半島を探検し,アリューシャン列島・アラスカを発見した。

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世界大百科事典(旧版)内のベーリングの言及

【医学】より

…1883年E.クレブスとF.A.J.レフラーがジフテリア菌を発見,90年には同門の北里柴三郎は菌から毒性成分を分離した。彼はさらにベーリングとともに,これを動物に少量ずつ注射して,かなりの量にも耐えられるようになったところで,その動物の血清がジフテリアにかかった動物を回復させる能力のあることを発見(1893),同様な方法で,2人は破傷風についても治療血清をつくりだした。フランスのL.パスツールは,細菌学の知識を利用して醸造業の能率向上,畜産獣医学方面での防疫法をつぎつぎと開発,人間においても狂犬病ワクチンの開発に成功した(1885)。…

【アラスカ[州]】より

…北アメリカ大陸北西端にあり,48州とは離れており,その結果,合衆国は典型的な飛地国を形成する。ベーリング海峡とアレウト列島西部でロシアに対する。地形は全体に山がちで,アラスカ湾に面した南部から南東部にかけてアラスカ山脈,コースト・レーンジズ(海岸山脈)が走り,山岳氷河がよく発達している。…

【コマンドル[諸島]】より

…太平洋とベーリング海の間にある諸島。カムチャツカ半島の東方約200kmにあり,ロシア連邦カムチャツカ州に属する。…

※「ベーリング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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