ベン・バルカ(読み)べんばるか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベン・バルカ」の意味・わかりやすい解説

ベン・バルカ
べんばるか
Mahdi Ben Barka
(1920―1965)

モロッコの左翼政治家。ラバト生まれ。学生時代から独立運動に関心をもち、1944年にイスティクラール党に加盟した。同党と解放軍、労働運動の調整にあたるなかで頭角を現した。左翼勢力を代表する政治家であり、1956年に諮問議会議長、1958年には同党書記長に就任したが、党内右派との対立に敗れて離党し、翌1959年に人民諸勢力同盟(UNFP)を組織して王政に対抗したため亡命を余儀なくされ、欠席裁判死刑判決を受けた。国外でも反政府運動を続けたが、1965年10月亡命先のパリでモロッコ官憲により白昼誘拐され、暗殺された。この「ベン・バルカ事件」がもとになって1966年1月から1969年末までフランスとモロッコの外交関係が途絶した。

[宮治一雄]

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百科事典マイペディア 「ベン・バルカ」の意味・わかりやすい解説

ベン・バルカ

モロッコの政治家。ラバトに生まれ,数学物理の教師になったが,学生時代から政治活動に入り,1944年イスティクラール(独立)党の結成に参加。1954年−1955年イスティクラール党と解放軍,労働組合運動との調整の責任者を務め,1956年3月の独立達成後は党内左派(労働組合系)の代表として諮問議会議長や党書記長の要職についた。党内右派(地主・商人系)との対立から1959年に離党,人民勢力全国同盟(UNFP)を結成して書記長になる。チュニスで開催された第2回全アフリカ人民会議にも出席している。1961年2月に即位したハサン2世と対立して亡命,1965年10月,パリでモロッコの官憲に誘拐されて暗殺された。この〈ベン・バルカ事件〉がもとでモロッコとフランスの外交関係が一時途絶した。

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