ベレンガーリオ1世(英語表記)Berengario Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「ベレンガーリオ1世」の意味・わかりやすい解説

ベレンガーリオ[1世]
Berengario Ⅰ
生没年:?-924

イタリア王(在位888-924),神聖ローマ皇帝(在位915-924)。フリウリ侯。887年神聖ローマ皇帝カール3世が廃位されるとイタリアにおけるカロリング家の系統(男系)が絶え,諸侯は激しい権力闘争を行った。ルートウィヒ1世敬虔王)の娘の子にあたるベレンガーリオは888年イタリア王に選出され,その死にいたるまでこの抗争の中心人物であった。889年にはスポレート公グイードGuidoが進出してイタリア王の冠を受けると(891年皇帝戴冠),ベレンガーリオとのあいだに激しい抗争が生じた。スポレート公とその子の死後,一部の諸侯はプロバンス伯をイタリア王として招き(900),抗争はさらに続いた。この時代にはマジャール人イスラム教徒の侵入があり,社会的混乱ははなはだしかった。ベレンガーリオは915年にようやく神聖ローマ皇帝位についたが,その後もプロバンス伯やブルゴーニュ王の介入と戦わねばならなかった。924年謀反のためベローナで没した。皇帝位はこれ以後962年オットー1世即位まで空位となった。
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世界大百科事典(旧版)内のベレンガーリオ1世の言及

【イタリア王国】より

…カール3世の死後,イタリアにおけるカロリング家(男系)が絶え(東・西フランク王国では存続),有力諸侯が王位をめぐって激しい抗争を続ける時代に入った。まずフリウリ侯ベレンガーリオ1世(ルートウィヒ敬虔王の娘の子)が王位を得た(888)が,スポレト侯グイドがこれに対抗。さらにプロバンスやブルゴーニュの王侯が介入し,イタリア王あるいは皇帝を称した。…

※「ベレンガーリオ1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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