ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベル」の意味・わかりやすい解説
ベル
Bell, Daniel
アメリカの社会学者。ニューヨーク市立大学で学士号を取得,雑誌『ニューリーダー』 The New Leader (1939~41) ,『コモンセンス』 Common Sence (41~49) ,『フォーチュン』 Fortune (48~58) を編集。シカゴ大学,コロンビア大学を経て,ハーバード大学教授。研究内容は社会変動論,政治社会学であるが,『イデオロギーの終焉』 End of Ideology: On the Exhaustion of Political Ideas in the Fifties (65) にみられるように,未来社会としての脱工業化社会に関するものも多い。政治がもはやイデオロギー的情熱によって動かなくなった以上,政治を動かすものは知的テクノロジーであり,社会計画や社会指標による社会科学的テクノロジーの発達が望ましいとした。また彼の脱工業化社会論は,いわゆる情報化社会の特徴を示すものとして日本にも多くの影響を及ぼしている。主著『一般教育の改革』 The Reforming of General Education (66) ,『アメリカにおけるマルクス主義』 Marxian Socialism in America (67) 。
ベル
Bell, Andrew
[没]1832.1.27. チェルトナム
スコットランド生まれの牧師,教育家。助教法の開拓者の一人。大学卒業後,家庭教師として北アメリカ植民地バージニアに渡り,タバコ栽培で財をなした。1781年に帰国し,1785年アングリカン・チャーチ(イギリス国教会)から叙任された。1787年インドのマドラス(→チェンナイ)に赴き,孤児学校で助教法を初めて導入。これは優秀な子供に学習進度の遅い子供を指導させるもので,直接には教師不足の対策として考え出されたものであった。1797年ロンドンに帰り,『教育の実験――マドラスの男子孤児院における』An Experiment in Education, Made at the Male Asylum of Madrasを発表。1811年,国教会主義全英貧民教育振興協会 The National Society for Promoting the Education of the Poor in the Principles of the Established Churchを設立して,自分の創案した教育技法の実践に努めた。莫大な財産をスコットランドの教育振興のために遺贈した。
ベル
Bell, Andrew
[没]1809.5.10. エディンバラ
イギリス,スコットランドの銅版画家。1768年,印刷工のコリン・マクファーカーとともに『ブリタニカ百科事典』を創始した。エディンバラで生まれ,生涯同地に住んだ。紋章プレートやイヌの首輪などに文字や名前,クレスト(紋)を彫ることをなりわいとして,つつましく暮らしていた。当時,版画家として高い評価を得ることはなかったが,今日では『ブリタニカ百科事典』の初版,第2版,第3版や,フランスのジョルジュ=ルイ・ルクレール・ビュフォン伯の『博物誌』(1781以降)のウィリアム・スメリーによる英訳本に使われた図版の多くが,高く評価されている。『ブリタニカ百科事典』を制作するにあたって,ベルとマクファーカーの間でどのような取り決めがあったかは不明だが,スメリーに初版の編集を依頼する手紙を書いたのはベルであり,終生にわたって『ブリタニカ百科事典』への関心は衰えることがなかった。マクファーカーと所有権を共同所有していたが,1793年にマクファーカーが死去すると,全版権を単独所有した。
ベル
Böll, Heinrich
[没]1985.7.16. ランゲンブロイヒ
西ドイツの小説家。書店に勤めていたが,1939年第2次世界大戦に応召,歩兵として4度も負傷し,この戦争体験が文学の出発点となった。 51年「47年グループ賞」,67年ビュヒナー賞を受賞,71~74年国際ペンクラブ会長。 72年ノーベル文学賞受賞。カトリック作家として読者層はきわめて広い。処女作『列車は定時に発着した』 Der Zug war pünktlich (1949) 以下,短編集『アダムよ,おまえはどこにいた』 Wo warst du,Adam? (51) ,小説『そしてなにも言わなかった』 Und sagte kein einziges Wort (53) ,『保護者なき家』 Haus ohne Hüter (54) ,『九時半の玉突き』 Billard um halbzehn (59) ,『ある道化師の意見』 Ansichten eines Clowns (63) ,『貴婦人のいる群像』 Gruppenbild mit Dame (71) ,『川辺の前の婦人』 Frauen vor FluBlandschaft (85) など。
ベル
Bell, Georg Kennedy Allen
[没]1958.10.3. カンタベリー
イギリス国教会の指導者。カンタベリー大聖堂の主教座聖堂主任司祭 (1924~29) ,チチェスター教区主教 (29) ,全イギリス主教協議会の主事 (30) をつとめる。ヒトラーによるユダヤ人迫害が始ると,彼は,ユダヤ人や非アーリア系キリスト教徒のための避難所をイギリスに確保するかたわら,ナチス政権に抵抗していたドイツ告白教会と緊密な協力関係を結んだ。また長期にわたり世界教会運動に活躍。実践的キリスト教のための国際協議会の議長 (34~36) ,世界教会協議会の中央委員会議長 (48~54) などもつとめた。主著"Christian Unity,the Anglican Position" (48) ,"The Kingship of Christ: the Story of the World Council of Churches" (54) 。
ベル
bel
N= log 10(I/I0)
I0 は波動のエネルギーの流れの基準値である。また,波動のエネルギーの流れは振幅の2乗に比例するので,振幅の基準値を P0 とするとき,振幅 P のレベル n ベルは次式で与えられる。
n=2 log 10(P/P0)
ベル単位では数値が小さくなりすぎるので,実用上はベルの 10分の1であるデシベルがおもに用いられ,エネルギー流のレベル N デシベル,振幅のレベル n デシベルはそれぞれ次式で与えられる。
N=10 log 10(I/I0),n=20 log 10(P/P0)
基準値 I0 ,P0 のレベルは0デシベルである。
ベル
Bell, Alexander Melville
[没]1905.8.7. アメリカ,ワシントンD.C.
イギリスの,のちにアメリカの音声学者,雄弁術教師。音声学と話法治療の権威であった。 A.G.ベルの父。 1843~65年エディンバラ大学で,65~70年ロンドンのユニバーシティ・カレッジで雄弁術を講義,70年カナダに渡りオンタリオ州キングストンのクイーンズ・カレッジで言語学を講義。ベルの最大の,そして独創的な学問上の貢献は,「視話法」 (→ビジブルスピーチ ) の発明で,この視話法は,音声学や雄弁術の教育などに貢献したばかりでなく,国際語の表音アルファベットや聾唖教育用の図式記号の開発にも基礎的に役立った。主著『視話法-万国字母の学』 Visible Speech: the Science of Universal Alphabetics (1867) 。
ベル
Bell, Sir Charles
[没]1842.4.28. ウースター,ノースハロー
イギリスの医師で解剖学者。エディンバラ大学卒業後,兄ジョンの指導で主として解剖学の研究に専心したが,1804年ロンドンに移住。 14年ミドルセックス病院に勤務,22年間診療に専念した。その間,15年にブリュッセルにおもむき,ウォータールーでの戦傷者の治療にあたった。 29年にロイヤル・ソサエティ賞を受賞,31年ナイトに叙され,36年エディンバラ大学の教授に戻った。 11年に『新しい脳解剖の思想』 New Idea of Anatomy of the Brainを発表,脊髄神経の前根は遠心性で運動を司り,後根は求心性で感覚を伝えることを明らかにしたが,同じことをフランスの F.マジャンディが 11年後に報告したので,現在ではベル=マジャンディの法則と呼ばれている。
ベル
Bell, Alexander Graham
[没]1922.8.2. カナダ,ベンブレー
アメリカの物理学者,電話の発明家。雄弁術の権威として知られた A. M.ベルの子。エディンバラ大学やロンドン大学で聴講したが,ほとんど独学。エルジンの学校教師として音楽,雄弁術を教えた。 68年父の助手となってロンドンやアメリカで働いたが,健康を害しカナダに移住 (1870) 。その後,ボストンで聾学校開設 (72) 。翌年ボストン大学音声生理学教授。アメリカ地理学会会長 (98) 。ボストン時代,音声を電気的に伝える方法を研究し,磁石式電話機を発明 (76年特許) 。のちベル電話会社 (ATTの前身) を設立。生涯,聾唖者教育に献身したほか,蓄音機,電報技術,光線電話器 (フォトホン) ,空中乗物など多くの発明,改良を行なった。
ベル
Berr, Henri
[没]1954.11.19. パリ
フランスの歴史家。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) 卒業後,大学教授資格を得,学位論文『哲学の未来』L'Avenir de la philosophie,esquisse d'une synthèse des connaissances fondées sur l'histoireを発表。 1900年『史学総合雑誌』 Revue de synthèse historiqueを創刊。 1920年『人類の発展』L'Évolution de l'humanitéと題する叢書を創刊してその監修をも兼ね,時間と空間に還元される思想と人間活動の多様な側面を,科学的法則に従って追究することを目指した。
ベル
Bel
ベル
Bell, Clive Howard
[没]1964
イギリスの美術評論家。絵画から発想した新しい芸術観に基づき,近代美術評論の形式を確立した。主著『形而上学的仮説』 The Metaphysical Hypothesis (1923) 。
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