ベル(英語表記)Alexander Graham Bell

精選版 日本国語大辞典 「ベル」の意味・読み・例文・類語

ベル

〘名〙 (bell)
① 金属やガラスなどで半球状につくり、電磁石を用いたり、手で打って鳴らすもの。呼びりん。電鈴。
※金色夜叉(1897‐98)〈尾崎紅葉〉後「格子の鐸(ベル)の鳴るは夫の帰来(かへり)か」
② 鐘。特に、教会の鐘。
※黒い眼と茶色の目(1914)〈徳富蘆花〉一「其教会の評判は遠く海外に駆せ亜米利加から祝意を表して〈略〉大きな鐘(ベル)を贈って来た程の成績を挙げた」
③ 大小の鐘を多数組み合わせて、手または機械じかけで鳴らす装置。特に、中世の教会で発達した。カリヨン。
④ 打楽器の一つ。長さの異なる金属製の管をハンマーで打ち鳴らすもの。チューブベル。

ベル

[一] (Alexander Graham Bell アレグザンダー=グレアム━) アメリカの技術家、発明家。スコットランド生まれ。音声生理学を研究、聾唖教育に尽くした。音波の研究から、一八七六年磁石式電話機を発明、ベル電話会社を設立。また、科学雑誌「サイエンス」を創刊。(一八四七‐一九二二
[二] (Andrew Bell アンドルー━) イギリスの教育家。国教会牧師。インドのマドラス孤児収容所所長。貧民教育促進国民協会を組織、初等教育の普及に努めた。(一七五三‐一八三八
[三] (Heinrich Böll ハインリヒ━) ドイツの小説家。第二次大戦に歩兵として従軍。戦後、戦争を告発する「汽車は遅れなかった」「アダムよ、おまえはどこにいた」でデビュー。一九七二年ノーベル文学賞受賞。(一九一七‐八五

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デジタル大辞泉 「ベル」の意味・読み・例文・類語

ベル(bell)

鐘や鈴。特に、教会の鐘。「カウベル」「ハンドベル」「ウエディングベル
呼びりん。電鈴。通報・警報に用いる。「玄関のベルを鳴らす」「電話のベル」「非常ベル
打楽器の一。長さの異なる多数の金属管をつちで打ち鳴らす。
[類語]呼び鈴チャイムブザー

ベル(Heinrich Böll)

[1917~1985]ドイツの小説家。第二次大戦後、ドイツの戦後文学の指導的作家となった。反ファシズム・反軍国主義を表明。1972年ノーベル文学賞受賞。作「列車は定時に発車した」「アダムよ、おまえはどこにいた」など。

ベル(Alexander Graham Bell)

[1847~1922]米国の発明家。英国生まれ。父とともに聾唖ろうあ者の教育に従事。1876年に磁石式電話を発明し、ベル電話会社を設立した。

ベル(Andrew Bell)

[1753~1838]英国の教育家。助教法を創始し、初等教育の普及に貢献した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベル」の意味・わかりやすい解説

ベル
Alexander Graham Bell
生没年:1847-1922

イギリス生れでアメリカに帰化(1882)した物理学者。電話の発明者として知られている。エジンバラに生まれ,同市とロンドンで学び,カナダを経てアメリカに移住した。祖父も父も発声生理学の専門家であり,父アレクサンダー・メルビル・ベルAlexander Merville Bell(1819-1905)は視話法と呼ばれる発声器官の位置表示の記号により言語音を表す方法を開発した。A.G.ベルも視話術を受け継いで,ボストンに耳や口の不自由な人の訓練学校を開いた。1872年にはボストン大学で発声生理学教授となった。H.L.F.vonヘルムホルツの論文を読んで,音声を電気によって伝えることが可能であると信ずるようになった。ベルは自宅で助手のワトソンT.A.Watsonとともに研究し,76年に電話の特許を出願した。ベルの出願よりわずか2時間後に,シカゴのグレーElisha Gray(1835-1901)も電話の特許を出願した。このため,ベルとグレーの間に特許権争いが起こり,訴訟はベルの勝訴に帰した。81年に初めての電話回線がボストンとプロビデンス間に開通し,以後,電話網は急速に発展した。電話が人々の生活様式に及ぼした影響は,主として業務用に使われた電信と比較しても非常に大きいといわねばならない。ベルは1877年にベル電話社を設立した。ベルの会社は巨大なビジネスに成長し,電信電話事業を受け持つアメリカン・テレフォン・アンド・テレグラフ社(略称ATT),有線通信機製造を受け持つウェスタン・エレクトリック社,研究部門のベル電話研究所からなるベル・システムとなった。ベルは94年までベル社に勤め,その後も耳や口の不自由な人を助ける仕事をした。彼は蠟管・蠟盤レコードの発明者としても知られ,光線電話や航空機の安定性についても研究した。また,科学雑誌《サイエンス》を創刊(1883)し,晩年には飛行機に関心を示し,S.P.ラングリーの飛行実験の支援,みずからの飛行実験も行っている。
執筆者:

ベル
Heinrich Böll
生没年:1917-85

西ドイツの作家。カトリック信徒だが,教会などの宗教組織の現状には強い批判的意見をもち,時事問題への発言も多い。国際ペンクラブの会長を務め(1971-74),1972年ノーベル文学賞を受賞。ソルジェニーツィンのソ連出国に際しては身元引受人となった。ナチスと戦争に懐疑的な一兵士として第2次大戦を経験し,この原体験の意味を問うことから彼の作家活動が始まる。初期の短編は,戦場の無名の兵士や戦後の廃墟に生きる庶民を主人公とし,彼らが理不尽な運命にもてあそばれながらその異常を日常のように耐える姿を即物的な筆致で描き,〈廃墟の文学〉の代表と目された。短編集《旅人よ,もし至りなばスパ……》(1950)の諸作やオムニバス仕立ての長編《どこにいたのだ,アダム?》(1951)などがそれである。51年に〈47年グループ〉の賞を受け,さらに,経済復興期の社会の内的疾患を鋭くえぐる《そして一言も言わなかった》(1953)がドイツ内外に好評で,文名を確立した。その後も,戦後のドイツ市民の生き方の道義的基盤を,その戦前戦中の行動への自己批判に求めようとする姿勢から,作品構成にも実験的意欲を見せた《九時半の玉突き》(1959),カトリック信徒の生態への批判が強い《道化の意見》(1963),戦時のロシア人俘虜を恋人にもった女性を主人公とする《婦人のいる群像》(1971)などの大作がつぎつぎに生まれる。反体制運動の一部が過激化してテロリズムを生んだとき,これを利用して市民の反共意識をあおり立てようとした通俗大衆紙に論戦を挑み,そのために経験した長期にわたる苦しい闘いからは《カタリーナ・ブルームの失われた名誉》(1974)という現代マス・メディア批判の作品が生まれた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベル」の意味・わかりやすい解説

ベル
bel

波動のエネルギーの流れ (音の強さ,電力など) または振幅 (音圧,電圧など) の大きさのレベルを表わす単位。記号は B 。単位名は A.G.ベルの名にちなむ。彼は音波や電信の伝送中の減衰が人間の感覚には対数的であることに着目し,流れ I のレベル N ベルを次のように定義した。

N= log 10(I/I0)

I0 は波動のエネルギーの流れの基準値である。また,波動のエネルギーの流れは振幅の2乗に比例するので,振幅の基準値を P0 とするとき,振幅 P のレベル n ベルは次式で与えられる。

n=2 log 10(P/P0)

ベル単位では数値が小さくなりすぎるので,実用上はベルの 10分の1であるデシベルがおもに用いられ,エネルギー流のレベル N デシベル,振幅のレベル n デシベルはそれぞれ次式で与えられる。

N=10 log 10(I/I0),n=20 log 10(P/P0)

基準値 I0P0 のレベルは0デシベルである。

ベル
Bell, Andrew

[生]1753.3.27. セントアンドルーズ
[没]1832.1.27. チェルトナム
スコットランド生まれの牧師,教育家。助教法の開拓者の一人。大学卒業後,家庭教師として北アメリカ植民地バージニアに渡り,タバコ栽培で財をなした。1781年に帰国し,1785年アングリカン・チャーチイギリス国教会)から叙任された。1787年インドのマドラス(→チェンナイ)に赴き,孤児学校で助教法を初めて導入。これは優秀な子供に学習進度の遅い子供を指導させるもので,直接には教師不足の対策として考え出されたものであった。1797年ロンドンに帰り,『教育の実験――マドラスの男子孤児院における』An Experiment in Education, Made at the Male Asylum of Madrasを発表。1811年,国教会主義全英貧民教育振興協会 The National Society for Promoting the Education of the Poor in the Principles of the Established Churchを設立して,自分の創案した教育技法の実践に努めた。莫大な財産をスコットランドの教育振興のために遺贈した。

ベル
Bell, Andrew

[生]1726. エディンバラ
[没]1809.5.10. エディンバラ
イギリス,スコットランドの銅版画家。1768年,印刷工のコリン・マクファーカーとともに『ブリタニカ百科事典』を創始した。エディンバラで生まれ,生涯同地に住んだ。紋章プレートやイヌの首輪などに文字や名前,クレスト(紋)を彫ることをなりわいとして,つつましく暮らしていた。当時,版画家として高い評価を得ることはなかったが,今日では『ブリタニカ百科事典』の初版,第2版,第3版や,フランスのジョルジュ=ルイ・ルクレール・ビュフォン伯の『博物誌』(1781以降)のウィリアム・スメリーによる英訳本に使われた図版の多くが,高く評価されている。『ブリタニカ百科事典』を制作するにあたって,ベルとマクファーカーの間でどのような取り決めがあったかは不明だが,スメリーに初版の編集を依頼する手紙を書いたのはベルであり,終生にわたって『ブリタニカ百科事典』への関心は衰えることがなかった。マクファーカーと所有権を共同所有していたが,1793年にマクファーカーが死去すると,全版権を単独所有した。

ベル
Bell, Daniel

[生]1919.5.10. ニューヨーク
アメリカの社会学者。ニューヨーク市立大学で学士号を取得,雑誌『ニューリーダー』 The New Leader (1939~41) ,『コモンセンス』 Common Sence (41~49) ,『フォーチュンFortune (48~58) を編集。シカゴ大学コロンビア大学を経て,ハーバード大学教授。研究内容は社会変動論,政治社会学であるが,『イデオロギーの終焉』 End of Ideology: On the Exhaustion of Political Ideas in the Fifties (65) にみられるように,未来社会としての脱工業化社会に関するものも多い。政治がもはやイデオロギー的情熱によって動かなくなった以上,政治を動かすものは知的テクノロジーであり,社会計画や社会指標による社会科学的テクノロジーの発達が望ましいとした。また彼の脱工業化社会論は,いわゆる情報化社会の特徴を示すものとして日本にも多くの影響を及ぼしている。主著『一般教育の改革』 The Reforming of General Education (66) ,『アメリカにおけるマルクス主義』 Marxian Socialism in America (67) 。

ベル
Böll, Heinrich

[生]1917.12.21. ケルン
[没]1985.7.16. ランゲンブロイヒ
西ドイツの小説家。書店に勤めていたが,1939年第2次世界大戦に応召,歩兵として4度も負傷し,この戦争体験が文学の出発点となった。 51年「47年グループ賞」,67年ビュヒナー賞を受賞,71~74年国際ペンクラブ会長。 72年ノーベル文学賞受賞。カトリック作家として読者層はきわめて広い。処女作『列車は定時に発着した』 Der Zug war pünktlich (1949) 以下,短編集『アダムよ,おまえはどこにいた』 Wo warst du,Adam? (51) ,小説『そしてなにも言わなかった』 Und sagte kein einziges Wort (53) ,『保護者なき家』 Haus ohne Hüter (54) ,『九時半の玉突き』 Billard um halbzehn (59) ,『ある道化師の意見』 Ansichten eines Clowns (63) ,『貴婦人のいる群像』 Gruppenbild mit Dame (71) ,『川辺の前の婦人』 Frauen vor FluBlandschaft (85) など。

ベル
Bell, Alexander Melville

[生]1819.3.1. イギリス,スコットランド,エディンバラ
[没]1905.8.7. アメリカ,ワシントンD.C.
イギリスの,のちにアメリカの音声学者,雄弁術教師。音声学と話法治療の権威であった。 A.G.ベルの父。 1843~65年エディンバラ大学で,65~70年ロンドンのユニバーシティ・カレッジで雄弁術を講義,70年カナダに渡りオンタリオ州キングストンのクイーンズ・カレッジで言語学を講義。ベルの最大の,そして独創的な学問上の貢献は,「視話法」 (→ビジブルスピーチ ) の発明で,この視話法は,音声学や雄弁術の教育などに貢献したばかりでなく,国際語の表音アルファベットや聾唖教育用の図式記号の開発にも基礎的に役立った。主著『視話法-万国字母の学』 Visible Speech: the Science of Universal Alphabetics (1867) 。

ベル
Bell, Alexander Graham

[生]1847.3.3. スコットランド,エディンバラ
[没]1922.8.2. カナダ,ベンブレー
アメリカの物理学者,電話の発明家。雄弁術の権威として知られた A. M.ベルの子。エディンバラ大学やロンドン大学で聴講したが,ほとんど独学。エルジンの学校教師として音楽,雄弁術を教えた。 68年父の助手となってロンドンやアメリカで働いたが,健康を害しカナダに移住 (1870) 。その後,ボストンで聾学校開設 (72) 。翌年ボストン大学音声生理学教授。アメリカ地理学会会長 (98) 。ボストン時代,音声を電気的に伝える方法を研究し,磁石式電話機を発明 (76年特許) 。のちベル電話会社 (ATTの前身) を設立。生涯,聾唖者教育に献身したほか,蓄音機,電報技術,光線電話器 (フォトホン) ,空中乗物など多くの発明,改良を行なった。

ベル
Bell, Sir Charles

[生]1774.11. エディンバラ
[没]1842.4.28. ウースター,ノースハロー
イギリスの医師で解剖学者。エディンバラ大学卒業後,兄ジョンの指導で主として解剖学の研究に専心したが,1804年ロンドンに移住。 14年ミドルセックス病院に勤務,22年間診療に専念した。その間,15年にブリュッセルにおもむき,ウォータールーでの戦傷者の治療にあたった。 29年にロイヤル・ソサエティ賞を受賞,31年ナイトに叙され,36年エディンバラ大学の教授に戻った。 11年に『新しい脳解剖の思想』 New Idea of Anatomy of the Brainを発表,脊髄神経の前根は遠心性で運動を司り,後根は求心性で感覚を伝えることを明らかにしたが,同じことをフランスの F.マジャンディが 11年後に報告したので,現在ではベル=マジャンディの法則と呼ばれている。

ベル
Bell, Georg Kennedy Allen

[生]1883.2.4. ハトリング島
[没]1958.10.3. カンタベリー
イギリス国教会の指導者。カンタベリー大聖堂の主教座聖堂主任司祭 (1924~29) ,チチェスター教区主教 (29) ,全イギリス主教協議会の主事 (30) をつとめる。ヒトラーによるユダヤ人迫害が始ると,彼は,ユダヤ人や非アーリア系キリスト教徒のための避難所をイギリスに確保するかたわら,ナチス政権に抵抗していたドイツ告白教会と緊密な協力関係を結んだ。また長期にわたり世界教会運動に活躍。実践的キリスト教のための国際協議会の議長 (34~36) ,世界教会協議会の中央委員会議長 (48~54) などもつとめた。主著"Christian Unity,the Anglican Position" (48) ,"The Kingship of Christ: the Story of the World Council of Churches" (54) 。

ベル
Berr, Henri

[生]1863.1.31. リュネビル
[没]1954.11.19. パリ
フランスの歴史家。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) 卒業後,大学教授資格を得,学位論文『哲学の未来』L'Avenir de la philosophie,esquisse d'une synthèse des connaissances fondées sur l'histoireを発表。 1900年『史学総合雑誌』 Revue de synthèse historiqueを創刊。 1920年『人類の発展』L'Évolution de l'humanitéと題する叢書を創刊してその監修をも兼ね,時間と空間に還元される思想と人間活動の多様な側面を,科学的法則に従って追究することを目指した。

ベル
Bel

セム語で「主」を意味し,神の呼称に用いられたバールのバビロニア語形。エンリルマルドゥク,アッシュルなど,有力神の称号として用いられた。ギリシア語訳旧約聖書で,『ダニエル書』に付加された部分には,ペルシアのキュロス王の治下に預言者ダニエルが,バビロンでベル神の偶像に仕える祭司たちの主張 (この像が毎日供物に捧げられる食物を食べるという) が,嘘であることを暴露して,その崇拝をやめさせたという有名な話が物語られているが,このベルはマルドゥクである。ベルの妻の女神はベリトと呼ばれた。

ベル
Bell, Clive Howard

[生]1881
[没]1964
イギリスの美術評論家。絵画から発想した新しい芸術観に基づき,近代美術評論の形式を確立した。主著『形而上学的仮説』 The Metaphysical Hypothesis (1923) 。

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百科事典マイペディア 「ベル」の意味・わかりやすい解説

ベル

アメリカの社会学者,ニューヨークに生まれる。ロシア系ユダヤ人。ニューヨーク市立大学卒業後,コロンビア大学で学位を取得。シカゴ大学,コロンビア大学教授を歴任。69年,ハーバード大学教授。1960年に発表した《イデオロギーの終焉》は資本主義経済の発展による豊かな社会の到来で,マルクス主義の階級闘争的政治思想と世界観が意義を失うと主張,世界的な反響を呼んだ。73年の《脱工業化社会》では,高度化した資本主義では,財の生産が,工業生産物から高度情報サービスなどのサービス財に移行することで,新しい知識階層として専門技術職の社会的役割が大きくなると説き,情報化社会の到来を予言した。「イデオロギーの終焉」も「脱工業化社会」も世界的な流行語となった。

ベル

米国の発明家。英国のエディンバラの生れ。米国移住後ボストン大学で聾唖(ろうあ)者のため視話法を講義するかたわら,音波を電流で伝搬することを研究,1876年有線電話を発明。ベル電話会社(のちAT&T),ボルタ研究所等を設立。また科学雑誌《サイエンス》を創刊した。
→関連項目サイエンス

ベル

ドイツの小説家。戦中世代を代表する。カトリックの信仰を保持しながら積極的な政治参加の姿勢を示し,古い勢力の復活に警告を発した《九時半の玉突き》(1959年),宗教や道徳の空洞化をついた《道化の意見》(1963年),《婦人のいる群像》(1971年)など。1972年ノーベル文学賞。
→関連項目フーバー47年グループ

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音楽用語ダス 「ベル」の解説

ベル

ベルには、鈴を使ったものと小型の鐘を使ったものの2種類がある。鈴を使ったものはスレイ・ベルやジングル・ベルがあるが、いずれも鈴がたくさん集まったものなので、これを振って鈴の音を響かせるものだ。このほかの演奏法としては、ベルを片手に持ちその手をもう片方の手で叩く方法がある。これはアクセントのはっきりした歯切れよい音を出すことができる。鐘を使ったものはペルシャ・ベルやトゥリー・ベルがある。どちらも小さい鐘を重ねるように並べてセットしたもので、金属棒で叩いたり金属製のマレットで叩いて音を出す。このほかに、並べられた鐘をこするようにして音を出すグリッサンド奏法もある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベル」の解説

ベル
Alexander Graham Bell

1847~1922

アメリカの発明家。スコットランドに生まれ,父親から音声学を学び,アメリカに移住。ボストン大学で補聴器の研究中にヒントを得て,1876年電話機を発明し,その後の改良により,ベル電話会社の基礎を築いた。莫大な特許収入を得た彼は若手発明家の研究や文化的活動に出資したが,本来の関心事だった聴覚障害の軽減解消のための慈善事業には特に力を入れた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ベル」の解説

ベル
Alexander Graham Bell

1847〜1922
イギリスの発明家
1876年電話機を発明。1882年アメリカに帰化。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「ベル」の解説

ベル

生年月日:1870年10月31日
イギリスの植民的官吏,チベット学者
1945年没

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デジタル大辞泉プラス 「ベル」の解説

ベル〔ウイスキー〕

スコッチウイスキー(ブレンデッド)の銘柄のひとつ。名称は創業者のアーサー・ベルの名にちなむ。

ベル〔筆記具〕

ドイツ、ペリカン社のボールペンの商品名。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のベルの言及

【鐘∥鉦】より

…しかし鈴(すず)のように包まれた形のものもある。発音のための構造としては,ヨーロッパの教会の〈鐘(かね)〉や家畜のベルのように身の内側に舌(ぜつ)clapperとよぶ棒をつるす場合と,鈴のように丸(がん)を入れる場合,舌,丸いずれももたない場合がある。欧米では,身が板状のもの,中空なもの,鈕,柄の有無,舌,丸の有無の区別をこえてすべてをbell(英語),Glocke(ドイツ語),cloche(フランス語)とよぶのに対して,中国では,古来それぞれを違う名でよび分け,部分名称も詳しい。…

【電気通信】より

…例えば電信機は1829年にロシアのシリングP.L.B.Schilling(1786~1837)により実現されており,静止画像を伝送するファクシミリの原形は43年にイギリスのベインAlexander Bain(1810‐77)が発明し,基礎的な実験も行われていた。電話についてはその原理を54年にベルギーのブールサールCharles Bourseul(1829‐1912)が提案し,61年にはドイツのライスJohann Phillip Reis(1834‐74)が実験を行っている。
[電信の始まり]
 電気通信の実用化は電信から始まっている。…

【電話】より

…しかし,将来通信網が高度化し,通信サービスが多様化して料金種別が複雑化した場合には,その内訳や記録の必要性は高まってくるものと考えられており,いずれ日本においても料金の詳細記録は不可欠のものになっていくであろう。【秋山 稔】
【沿革】
 電話は,1876年にA.G.ベルによって発明された。もっとも,ベルの基本特許をめぐって多くの紛争があり,その事業化に当たっては当初より幾多の紆余曲折があった。…

※「ベル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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