スウェーデンの映画監督。スウェーデン読みではベリマン。舞台の演出家としても有名だが,スウェーデン映画の国際的名声を高めた第一人者であるのみならず,シェーストレーム,スティルレル以来の〈北欧の神秘主義〉を継承しつつ,神と人間という形而上的命題を映画的に形象した比類なき世界的巨匠として映画史にもっとも重要な地位を占める作家の一人である。ハリウッド製のエンタテインメントとは極端に対照的なその深刻で難解な〈芸術性〉のゆえに,アメリカでは〈1960年代のアート・ハウスの巨匠〉というレッテルもはられている。1960年代には,〈神の沈黙〉三部作とよばれる《鏡の中にある如く》(1961),《冬の光》《沈黙》(ともに1963)を中心にしたベルイマン映画が世界のアート・シアター(アメリカではアート・ハウス)を独占するほどの流行になった。
牧師の子に生まれ,学生時代から演劇活動を始め,脚本家として映画界入り。44年,自作のシナリオがアルフ・シェーベルイ監督によって映画化され,翌45年,《危機》で監督としてデビュー。《不良少女モニカ》(1952)で世界的に知られ,《夏の夜は三たび微笑む》(1955)で名声を決定的なものにする。以後,《第七の封印》《野いちご》(ともに1957),《処女の泉》(1960),《仮面/ペルソナ》(1966),《狼の時間》(1968),《夜の儀式》(1969)等々と次々に問題作を発表して〈アート・シアターの巨匠〉となるが,73年のカラー作品《叫びとささやき》が世界的にヒットして(アメリカでは怪奇映画の巨匠として知られるロジャー・コーマンの手で配給された),その〈芸術性〉にも興行価値が認められた。《沈黙》の姉妹を演じたイングリット・チューリンとグンネル・リンドブロムをはじめ,ハリエット・アンデルソン,ビビ・アンデルソン,リブ・ウルマンといった女優たちの〈肉体的演技〉に支えられたその大胆なエロティシズム,すさまじい性描写によっても,一時代を画した。
《ファニーとアレクサンデル》(1983)で引退を表明し,その後はテレビ映画《リハーサルのあとで》(1984)を撮っただけで,舞台の演出に挺身(ていしん)してきた。
執筆者:広岡 勉
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…50年代に入ってようやく,カンヌ映画祭で受賞した《令嬢ジュリー》(1951)のアルフ・シェーベルイと記録映画作家アルネ・スックスドルフ(《ジャングル・サガ》1954)がスウェーデン映画の存在をふたたび世界に知らしめた。続いて,シェーベルイ監督の《もだえ》(1944)のシナリオライターとしてデビューし,50年代半ばに《不良少女モニカ》《道化師の夜》(ともに1953),《夏の夜は三たび微笑む》(1955)などで世界を驚かせたイングマル・ベルイマンが,スウェーデン映画の〈神秘主義〉を一身に背負って今日に至っている。ギリシア神話のダフネスとクロエの物語を〈純潔な官能美〉で満たした北欧版(サドゥールの評)アルネ・マットソン監督《春の悶え》(1951)の大ヒット以来,スウェーデン映画はセックスのはんらん時代を迎えるが(その頂点がビルゴット・シェーマン監督《私は好奇心の強い女》(1967)であった),ベルイマンはそうした流行とはまったくかかわりなく,《沈黙》(1963)に見られるようなセックスと神,すなわち肉欲と信仰の葛藤をテーマに映画をつくり続け,60年代末には〈ベルイマンの神秘主義〉に反発してフランスのヌーベル・バーグの感覚を意識的に採り入れ,〈抒情性と社会性をミックスした〉映画をめざした新鋭監督ボ・ウィデルベルグ(《みじかくも美しく燃え》1967,《ジョー・ヒル》1971)などの登場が注目されたものの,やはり,その豊饒(ほうじよう)な創作活動と息の長いキャリアで〈スウェーデン映画の巨匠〉ベルイマンの位置は不動のままである。…
※「ベルイマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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