ベルイマン(英語表記)Ingmar Bergman

デジタル大辞泉 「ベルイマン」の意味・読み・例文・類語

ベルイマン(Ingmar Bergman)

[1918~2007]スウェーデン映画監督・舞台演出家。神の沈黙、愛と憎悪、生と死などをモチーフに名作を発表。作「野いちご」「叫びとささやき」「ファニーとアレクサンデル」。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベルイマン」の意味・わかりやすい解説

ベルイマン
Ingmar Bergman
生没年:1918-2007

スウェーデンの映画監督。スウェーデン読みではベリマン。舞台の演出家としても有名だが,スウェーデン映画の国際的名声を高めた第一人者であるのみならず,シェーストレームスティルレル以来の〈北欧の神秘主義〉を継承しつつ,神と人間という形而上的命題を映画的に形象した比類なき世界的巨匠として映画史にもっとも重要な地位を占める作家の一人である。ハリウッド製のエンタテインメントとは極端に対照的なその深刻で難解な〈芸術性〉のゆえに,アメリカでは〈1960年代のアート・ハウスの巨匠〉というレッテルもはられている。1960年代には,〈神の沈黙〉三部作とよばれる《鏡の中にある如く》(1961),《冬の光》《沈黙》(ともに1963)を中心にしたベルイマン映画が世界のアート・シアター(アメリカではアート・ハウス)を独占するほどの流行になった。

 牧師の子に生まれ,学生時代から演劇活動を始め,脚本家として映画界入り。44年,自作のシナリオがアルフ・シェーベルイ監督によって映画化され,翌45年,《危機》で監督としてデビュー。《不良少女モニカ》(1952)で世界的に知られ,《夏の夜は三たび微笑む》(1955)で名声を決定的なものにする。以後,《第七の封印》《野いちご》(ともに1957),《処女の泉》(1960),《仮面/ペルソナ》(1966),《狼の時間》(1968),《夜の儀式》(1969)等々と次々に問題作を発表して〈アート・シアターの巨匠〉となるが,73年のカラー作品《叫びとささやき》が世界的にヒットして(アメリカでは怪奇映画の巨匠として知られるロジャー・コーマンの手で配給された),その〈芸術性〉にも興行価値が認められた。《沈黙》の姉妹を演じたイングリット・チューリンとグンネル・リンドブロムをはじめ,ハリエット・アンデルソン,ビビ・アンデルソン,リブ・ウルマンといった女優たちの〈肉体的演技〉に支えられたその大胆なエロティシズム,すさまじい性描写によっても,一時代を画した。

 《ファニーアレクサンデル》(1983)で引退を表明し,その後はテレビ映画《リハーサルのあとで》(1984)を撮っただけで,舞台の演出に挺身(ていしん)してきた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルイマン」の意味・わかりやすい解説

ベルイマン
Bergman, Ingmar

[生]1918.7.14. ウプサラ
[没]2007.7.30. フォーレ島
スウェーデンの演出家,映画監督。牧師の家に生まれ,ストックホルム高等学校 (大学) を卒業。 1944年にプロの演出家として出発,アウグスト・ストリンドベリの『幽霊ソナタ』を第1作として,モリエールの『ドン・ジュアン』,ヘンリク・J.イプセンの『ペール・ギュント』などの古典や新作を演出。 1963~66年ストックホルムの王立劇場 (ドラマーテン) の総監督として照明などの舞台機構の改革や新人の育成に努めた。一方,1946年に映画監督としてデビュー,その後の作品は国際的に高い評価を受けた。代表作に『第七の封印』 Det Sjunde Inseglet (1957) ,『野いちご』 Smultronstället (1957,ベルリン国際映画祭金熊賞) ,『処女の泉』 Jungfrukällan (1960) ,『鏡の中にある如く』 Saasom i en Spegel (1961) ,『冬の光』 Nattsvardsgästerna (1961) ,『沈黙』 Tystnaden (1963) ,『ファニーとアレクサンデル』 Fanny och Alexander (1982,アカデミー賞外国語映画賞) などがあり,人間の内的世界への鋭い観察を示した。遺作は『サラバンド』 (2003) 。

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百科事典マイペディア 「ベルイマン」の意味・わかりやすい解説

ベルイマン

スウェーデンの映画監督,舞台演出家。《不良少女モニカ》(1952年),《夏の夜は三たび微笑む》(1955年),《第七の封印》(1956年)で世界的名声を博した。その後も《野いちご》(1957年),《鏡の中にある如く》(1961年),《沈黙》(1963年),《ペルソナ》(1966年)等の話題作がある。人間の罪業を追求し,神を求める精神がその基調である。1983年の《ファニーとアレクサンデル》で映画界からの引退を表明し,舞台演出をおもに手がける。
→関連項目グリーナウェーバーグマン魔笛

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世界大百科事典(旧版)内のベルイマンの言及

【スウェーデン映画】より

…50年代に入ってようやく,カンヌ映画祭で受賞した《令嬢ジュリー》(1951)のアルフ・シェーベルイと記録映画作家アルネ・スックスドルフ(《ジャングル・サガ》1954)がスウェーデン映画の存在をふたたび世界に知らしめた。続いて,シェーベルイ監督の《もだえ》(1944)のシナリオライターとしてデビューし,50年代半ばに《不良少女モニカ》《道化師の夜》(ともに1953),《夏の夜は三たび微笑む》(1955)などで世界を驚かせたイングマル・ベルイマンが,スウェーデン映画の〈神秘主義〉を一身に背負って今日に至っている。ギリシア神話のダフネスとクロエの物語を〈純潔な官能美〉で満たした北欧版(サドゥールの評)アルネ・マットソン監督《春の悶え》(1951)の大ヒット以来,スウェーデン映画はセックスのはんらん時代を迎えるが(その頂点がビルゴット・シェーマン監督《私は好奇心の強い女》(1967)であった),ベルイマンはそうした流行とはまったくかかわりなく,《沈黙》(1963)に見られるようなセックスと神,すなわち肉欲と信仰の葛藤をテーマに映画をつくり続け,60年代末には〈ベルイマンの神秘主義〉に反発してフランスのヌーベル・バーグの感覚を意識的に採り入れ,〈抒情性と社会性をミックスした〉映画をめざした新鋭監督ボ・ウィデルベルグ(《みじかくも美しく燃え》1967,《ジョー・ヒル》1971)などの登場が注目されたものの,やはり,その豊饒(ほうじよう)な創作活動と息の長いキャリアで〈スウェーデン映画の巨匠〉ベルイマンの位置は不動のままである。…

※「ベルイマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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