ベネディクトゥス会則(読み)べねでぃくとぅすかいそく

世界大百科事典(旧版)内のベネディクトゥス会則の言及

【修道院】より

モンテ・カッシノ修道院である。それを開設したヌルシアのベネディクトゥスがここで執筆した〈ベネディクトゥス会則〉は後の西欧のほとんどの観想修道院で遵奉されることになったので,〈西欧修道制のマグナ・カルタ〉と別称されるほどである。もちろんこの会則は古来の多くの修道規定を参照してはいるが,いたずらに厳格な苦行を要求せず,中庸の精神で一貫し,労働を重視して経済的自立を確保させ,修道院の運営を機能化し,当時の農業社会にそれを適応させるなど,西欧独自の修道精神がいたるところに発揮されており,東方起源の修道院はこの会則によって初めて西欧的形態を確立したといえよう。…

【ベネディクトゥス[ヌルシアの]】より

…また彼のもとに集まった修道士のために付近に12の修道院を建ててその指導に当たった。529年ころモンテ・カッシノ(モンテ・カッシノ修道院)に移り,以後ここを離れず,晩年の534年以後,彼の唯一の著作〈ベネディクトゥス会則〉を執筆した。 この会則は東方で発生した修道生活の古い伝統を強く継承しながらも,西欧独自の性格を創造した注目すべき文書である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」