百科事典マイペディア 「ベネチア・ビエンナーレ」の意味・わかりやすい解説
ベネチア・ビエンナーレ
→関連項目キャラハン|小清水漸|ハーケ|ビエンナーレ|フォートリエ
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…第2次大戦後,現代美術の世界的な同時性をふまえてその課題を探り,各国の美術家の交流をもはかってゆこうとする考え方が幾つかの国際美術展を生み出した。そのなかで,19世紀から存在していたベネチア・ビエンナーレ(1895創設),サン・パウロ・ビエンナーレ(1951創設),パリ青年ビエンナーレ(1959創設),また版画専門のリュブリャナ・ビエンナーレ(1952‐70),クラクフ・ビエンナーレ(1966創設)などの隔年展が主たる役割をになってきた。国際的規模のため毎年あるいは隔年の開催は困難なところから,さらには2年おき(トリエンナーレtriennale),3年おき(クアドリエンナーレquadriennale)のものが構想された。…
… 19世紀に入ると,国内的な美術展覧会ばかりでなく,国際的な美術展覧会が各国で開催されることになり,最初の国際的な美術展覧会は1863年にミュンヘンで開催されたものとされる。現在,定期に開催されている国際美術展の最古の伝統をもつのは,1895年に第1回を開催し,それ以後一時中断したこともあるが,2年目ごとに開催しているベネチア・ビエンナーレであり,第2次大戦後では,サン・パウロ・ビエンナーレ(1951‐),毎日新聞社主催の日本国際美術展(通称〈東京ビエンナーレ〉,1952‐70)などがある。版画の国際展はアメリカ,スイス,ユーゴ,ポーランドなどで定期に開催され,1957年東京国立近代美術館において第1回東京国際版画ビエンナーレ展が開かれている。…
…とくに16世紀のベネチアは文化的創造性にあふれ,各分野の重要な文献がこの町で編集・出版された。この町の獲得した表現の自由と国際都市としての性格は近代に入っても受け継がれ,1895年,町の東部のジャルディーノを会場として国際美術展〈ベネチア・ビエンナーレ〉が開始され,近代美術の世界で大きな役割を果たしてきた。その後,映画祭,音楽祭,演劇祭も始まり,こういった文化的活動がベネチアの今日的な生き方をよく示している。…
※「ベネチア・ビエンナーレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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イタリア系フランス人の天文学者。カシニともいう。ニース近郊に生まれ、ジェノバで聖職修業中に、ガリレイの弟子カバリエリに師事して数学・天文学を修得し、1650年25歳でボローニャ大学教授に任ぜられた。惑...