ベネチア・ビエンナーレ(読み)ベネチアビエンナーレ

百科事典マイペディア 「ベネチア・ビエンナーレ」の意味・わかりやすい解説

ベネチア・ビエンナーレ

1895年にベネチア市が創設した,世界で最も古い隔年開催の国際美術展。ベネチア市のジャルディーニ公園を主会場とし,参加各国のパビリオンが設けられる。第2次大戦後は世界の現代美術動向指標となる役目を担ってきた。1970年代以降は,世界各地で現代美術国際展が開催されるようになり,ここ数年は開催意義が薄れて,美術界の祭典的な存在になりつつある。日本の本格的な参加は第26回(1952年)以降である。第28回(1956年)には棟方志功が,第33回(1966年)には池田満寿夫がグラン・プリを獲得し,他にも岡田謙三(第29回),菅井汲(第31回),堂本尚郎(第32回)らが受賞している。→サン・パウロ・ビエンナーレドクメンタ
→関連項目キャラハン小清水漸ハーケビエンナーレフォートリエ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネチア・ビエンナーレ」の意味・わかりやすい解説

ベネチア・ビエンナーレ
Biennale di Venezia

ベネチアで1年おきに開催されている国際美術展。 1895年にイタリア国王と王妃の 25回目の結婚記念日を祝して,ベネチア市の主催で創始された。 1930年から国家の主催となった。第1回展から大賞が設けられ,日本人では 56年度に棟方志功,66年度に池田満寿夫が国際版画大賞を受けたのをはじめ,岡田謙三,菅井汲,堂本尚郎,高松次郎らが受賞。 68年,イタリアの美術家,学生らの抗議デモによって旧来のあり方が批判され,70年度から賞は廃止された。 74年から大幅に改組され今日にいたっている。 (→ビエンナーレ )

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世界大百科事典(旧版)内のベネチア・ビエンナーレの言及

【ビエンナーレ】より

…第2次大戦後,現代美術の世界的な同時性をふまえてその課題を探り,各国の美術家の交流をもはかってゆこうとする考え方が幾つかの国際美術展を生み出した。そのなかで,19世紀から存在していたベネチア・ビエンナーレ(1895創設),サン・パウロ・ビエンナーレ(1951創設),パリ青年ビエンナーレ(1959創設),また版画専門のリュブリャナ・ビエンナーレ(1952‐70),クラクフ・ビエンナーレ(1966創設)などの隔年展が主たる役割をになってきた。国際的規模のため毎年あるいは隔年の開催は困難なところから,さらには2年おき(トリエンナーレtriennale),3年おき(クアドリエンナーレquadriennale)のものが構想された。…

【美術展覧会】より

… 19世紀に入ると,国内的な美術展覧会ばかりでなく,国際的な美術展覧会が各国で開催されることになり,最初の国際的な美術展覧会は1863年にミュンヘンで開催されたものとされる。現在,定期に開催されている国際美術展の最古の伝統をもつのは,1895年に第1回を開催し,それ以後一時中断したこともあるが,2年目ごとに開催しているベネチア・ビエンナーレであり,第2次大戦後では,サン・パウロ・ビエンナーレ(1951‐),毎日新聞社主催の日本国際美術展(通称〈東京ビエンナーレ〉,1952‐70)などがある。版画の国際展はアメリカ,スイス,ユーゴ,ポーランドなどで定期に開催され,1957年東京国立近代美術館において第1回東京国際版画ビエンナーレ展が開かれている。…

【ベネチア】より

…とくに16世紀のベネチアは文化的創造性にあふれ,各分野の重要な文献がこの町で編集・出版された。この町の獲得した表現の自由と国際都市としての性格は近代に入っても受け継がれ,1895年,町の東部のジャルディーノを会場として国際美術展〈ベネチア・ビエンナーレ〉が開始され,近代美術の世界で大きな役割を果たしてきた。その後,映画祭,音楽祭,演劇祭も始まり,こういった文化的活動がベネチアの今日的な生き方をよく示している。…

※「ベネチア・ビエンナーレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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