ヘンリー5世(読み)ヘンリーごせい(英語表記)Henry V

改訂新版 世界大百科事典 「ヘンリー5世」の意味・わかりやすい解説

ヘンリー[5世]
Henry Ⅴ
生没年:1387-1422

ランカスター朝第2代のイングランド王。在位1413-22年。ヘンリー4世の長子。軍事的才能と指導力に富み,先2代の対仏和平策を転換,フランス王位継承権の主張および膨大な対仏領土要求を掲げ,1415年百年戦争を再開,アジャンクールに大勝し,17年ノルマンディー征服に着手した。略奪および身代金目当ての在来型長征,遭遇戦戦術をやめ,攻城戦により約2年で征服を完了,植民に着手する。フランスの内紛に乗じブルゴーニュ公,フランス王妃と結びトロア条約(1420)によりフランス王女と婚約,摂政・王位継承権者となる。南に逃れたフランス太子との戦争継続中に病没した。国内では側近オールドカースルを首謀者とするロラード派反乱計画を探知鎮圧(1414),父王に引き続き同派への弾圧を強化した。また翌年夏,フランスへの出征直前,父の従弟ヨーク家のケンブリッジ伯リチャードを首謀者とし,ウェールズ辺境伯エドマンド・モーティマーを奉ずるクーデタ計画を探知,鎮圧した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘンリー5世」の意味・わかりやすい解説

ヘンリー5世
ヘンリーごせい
Henry V

[生]1387.9.16. モンマス
[没]1422.8.31. ボアドバンサンヌ
イギリスランカスター朝のイングランド王 (在位 1413~22) 。ヘンリー4世の長男。 1400~08年ウェールズの反乱の討伐と施政にたずさわり,13年父の死により即位。治世初期にはロラード派の乱 (14) やヨークのケンブリッジ伯リチャードの陰謀 (15) を鎮圧。百年戦争を再開,15年アザンクールの戦いに大勝。その結果,神聖ローマ皇帝ジギスムントの訪英が実現し (16) ,カンタベリーにおいて同盟条約を締結。さらにジギスムントと協力して,マルチヌス5世を教皇に選出 (17) ,教会大分裂の終焉を達成した。次いでノルマンディーを征服し,20年フランスとトロア条約を締結,フランス王シャルル6世の娘カトリーヌを妃とし,フランス王の摂政および推定相続人として認められ,ノルマンディーを自身の太子領とするよう取決めた。しかしフランス貴族との間に残された重大な案件を解決しえずに,南フランス征服の陣中で病没。

ヘンリー5世
ヘンリーごせい
Henry V

イギリスの劇作家シェークスピア史劇。5幕 23場。 1599年執筆。 1605年1月7日宮廷で演じられた記録がある。おもにホリンシェッドの『年代記』 (第2版,1587) から取材。国家統一と国威の高揚という当時の新しい国民意識を背景にした愛国的史劇。各幕にプロローグをつけ,解説役のコーラスによって劇は展開する。

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367日誕生日大事典 「ヘンリー5世」の解説

ヘンリー5世

生年月日:1387年9月16日
イングランド王(在位1413〜22)
1422年没

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世界大百科事典(旧版)内のヘンリー5世の言及

【百年戦争】より

…百年戦争はようやく後半の段階に入る。
[〈フランス戦争〉の再開と終末]
 1415年,ランカスター王家のヘンリー5世は自ら兵を率いてノルマンディーに入り,北上してアザンクールの戦にフランス王軍を破った。イギリス側のいう〈フランス戦争〉の開始である。…

※「ヘンリー5世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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