ヘルツォーク(James Barry Munnik Hertzog)(読み)へるつぉーく(英語表記)James Barry Munnik Hertzog

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ヘルツォーク(James Barry Munnik Hertzog)
へるつぉーく
James Barry Munnik Hertzog
(1866―1942)

南アフリカ連邦(現南アフリカ共和国)の政治家。旧ケープ州のウェリントン(現・西ケープ州)に生まれ、ステレンボッシュ大学卒業後ヨーロッパに留学した。1893年帰国し、オレンジ自由国高等裁判所の判事となり、ブーア戦争に参加した。ブーア人ナショナリズムを掲げて、1914年国民党(NP)を結成、24年労働党との連立内閣で首相に就任した。26年ロンドン帝国会議に出席し自治領主権を認めさせた。国内政治では都市に流出したブーア人をアフリカ人から守るため、一連の産業上の人種差別法を制定した。大恐慌のときは白人の利益を擁護するため、スマッツ連立政権を樹立し連合党を結成した。第二次世界大戦に際しては中立を主張したが議会で敗れ、39年首相を退任した。

[林 晃史]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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