プリンス(ミュージシャン)(読み)ぷりんす(英語表記)Prince

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

プリンス(ミュージシャン)
ぷりんす
Prince
(1958―2016)

アメリカのミュージシャン。ミネソタ州ミネアポリス生まれ。本名プリンス・ロジャー・ネルソンPrince Roger Nelson。1980年代のアメリカで二つの音楽ジャンルで成功を収めた。一つはMTV時代のやや露出趣味のポップ・スターとしてで、マイケル・ジャクソンマドンナライバルだった。もう一つはジェームズ・ブラウン、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどが開拓したファンク・ミュージックの遺産の継承者としての成功である。最新のテクノロジーを駆使するだけでなく、過去のロックの遺産も積極的に再評価する視野の広さと音楽の掌握力は図抜けていた。

 デビュー作『フォー・ユー』(1978)は、ソウル・ミュージック・チャート、ポップ・チャートでそこそこの成功を収めたが、この作品にはユニークな個性ほどには語られることのない、マルチプレーヤーとしてのプリンスの実力が示されている。次作『愛のペガサス』(1979)からは、「ワナ・ビー・ユア・ラバー」がポップ・チャートの22位になり、ここから新しい時代のポップ・スターのイメージをつくり上げてゆく。3枚目のアルバム『ダーティ・マインド』(1980)のタイトル曲は放送禁止コードの限界に迫る性的な表現に溢れ、この曲で1980年代前半のポップ・チャートの常連となる。ポップ・スターとしてのプリンスのキャリアは主演映画『パープル・レイン』(1984、監督アルバート・マグノーリAlbert Magnoli)で頂点を極める。

 その一方で、プリンスは優秀な若手ミュージシャンを集め、自らのバンドレボリューションを結成した。1960年代後半のサイケデリックを積極的に再評価した『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』(1985)、そして『パレード』(1986)では、ファンクの継承者としての側面を強く打ち出すだけでなく、最新テクノロジーを駆使し、さまざまな音楽的な新機軸を打ち出すことに成功する。

 2枚組アルバム『サイン・オブ・ザ・タイムズ』(1987)はプリンスのそれまでの活動の集大成的な作品で、批評家に高い評価を得る。このアルバムと同時に制作が進行していた、ハード・ファンクで統一された『ブラック・アルバム』(1994)は内容があまりに暗く、猥褻であるという理由で1990年代になるまで正規にはリリースされなかった。しかし、一連の作品・活動により1980年代中期には、プリンスは人気と音楽的な実力双方で、ポピュラー音楽の世界の頂点を極めた。

 その後、プリンスの活動は多極化していく。ソングライター、プロデューサーとして、バニティ6、ザ・タイム、バングルズ、チャカ・カーン、シーラE Sheila E. (1959― )らと活動し、自らのレーベル、ペイズリー・パークも始動させ、他方でベテランのソウル・シンガー、メイビス・ステープルズMavis Staples(1939― )のアルバムもプロデュースした。

 しかし『ラブセクシー』(1988)で初のセールス的な失敗を経験、翌年の映画『バットマン』(監督ティム・バートンTim Burton(1958― ))のサウンド・トラックの成功で巻き返したものの、プリンスの神通力も1990年代には翳(かげ)りが見え始めた。その後の主な活動としては、1991年に新しいバンド、ニュー・パワー・ジェネレーションを結成し、1994年に独立レーベル、NPGを設立、さらにはプリンスという芸名も封印したが、2000年に名前を元に戻した。

[中山義雄]

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