プラティープ・ウンソンタム(英語表記)Prateep Ungsongtham

現代外国人名録2016 の解説

プラティープ・ウンソンタム
Prateep Ungsongtham

職業・肩書
社会教育者,社会福祉家 ドゥアン・プラティープ財団創設者 元タイ上院議員

国籍
タイ

生年月日
1952年

出生地
バンコク・クロントイ地区

本名
プラティープ・ウンソンタム・秦(プランティープ・ウンソンタム・ハタ)〈Prateep Ungsongtham Hata〉

受賞
マグサイサイ賞〔1978年〕,子供の権利のための世界子供賞(2部門)〔2004年〕,外務大臣表彰(日本)〔2014年〕

経歴
8人兄妹の三女で、父は中国移民でバンコク南郊の漁師。タイのスラム街クロントイに生まれ育ち、1959年小学校に入学すると同時にお菓子売りの仕事を始める。’63年11歳で線香工場に就職。その後、夜間中学、夜間師範学校に入学。’68年家の近くで学校に通学することが出来ない子を集めた私塾“1バーツ学校”を始め、その後、数百人が通う小学校に発展させた。“スラムの天使”と呼ばれ、’78年アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞。その賞金をもとに’79年ドゥアン・プラティープ財団を設立、公式の学校として認可された。また、クロントイの人々が政府から居住権を認められるように運動し、’88年1月認可にこぎつけた。’92年5月の民主化運動では、二男の妊娠中にもかかわらず集会最前線に立ち、タイ当局から逮捕状が出され、日本大使館に一時保護された。のち性的虐待や売春麻薬などの問題を抱える少女のための“生き直しの学校”の開設に取り組む。2000年3月〜2006年3月タイ上院議員を務め、貧困対策などに取り組んだ。2004年世界57ケ国、130万人の子供の投票で選ばれる子供の権利のための世界子供賞(地球の友賞)を受賞。1987年日本人ボランティア・秦辰也と結婚。2010年バンコク騒乱の際、集会を開き逮捕状が出たため、5月大阪へ逃れた。2011年1月帰国。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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