オランダ,北ブラバント州の都市。人口16万8054(2005)。機械,重電機,化学繊維,食品加工,ビール醸造などの諸工業からなる工業都市。アー川とマルク川が合流する地点にあり,昔から水運をはじめとして交通の便に恵まれ,大陸とイギリスとの往来の要衝として発展してきた。都市としての成立は1252年以前のことで,ナッサウ伯家とのつながりが強かった。1534年の大火でほぼ町全体が焼失したが,同伯家の援助のもとに復興した。オランダ独立戦争の初期には共和国軍の軍事的拠点として重要な役割を演じたが,その後は再三にわたってスペイン軍に占領され,大きな打撃をうけた。その一つを描いたのがベラスケスの名画《ブレダの開城》である。17~18世紀の共和国時代は連邦議会直轄領として差別され振るわなかったが,19世紀後半以降工業都市として発展を続けている。市内には聖母マリア教会など歴史的建造物が多い。王立陸軍大学校をはじめ,旅行研究所,彫塑研究所などの研究機関がある。
執筆者:佐藤 弘幸
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オランダ南部、ノールト・ブラバント州にある都市。人口16万2308(2001)。ベルギー国境に近いマルク川とアー川の合流点に位置し、道路交通の要衝である。機械、繊維、食品などの工業が発達する。12世紀にはブラバント公の直領地であったが、1252年に自治権を獲得、16世紀には要塞(ようさい)化された。独立戦争中にはスペインとの間で争奪が繰り返され、とくに1625年にスピノラ将軍指揮下のスペイン軍に降服した模様はベラスケスの絵画『ブレダ開城』によって有名である。しばしば歴史的舞台となり、1566年のオランダ・スペイン間のブレダ和約、イギリスのチャールズ2世が王政復古直前の1660年4月に発したブレダ宣言、第二次イギリス・オランダ戦争を終結させた1667年のブレダ条約などが知られる。ゴシック様式のフローテ教会、オランダ・ルネサンス様式の陸軍士官学校などがあり、ローマ・カトリックの司教座も置かれている。
[長谷川孝治]
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