ブルーム(英語表記)Bloom, Allan

デジタル大辞泉 「ブルーム」の意味・読み・例文・類語

ブルーム(Broome)

オーストラリア、西オーストラリア州北部の港町。インド洋に面する。20世紀初頭に日本人などのアジア人真珠養殖に携わった。チャイナタウン、日本人墓地、日本人移民の暮らしを紹介するブルーム博物館がある。

ブルーム(broom)

ほうき。特に、カーリングで使うものをいう。

ブルーム(bloom)

《花・開花の意》チョコレートの表面に浮き出た白い粉。また、キュウリなどの表面の白い粉。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルーム」の意味・わかりやすい解説

ブルーム
Bloom, Allan

[生]1930.9.14. インディアナインディアナポリス
[没]1992.10.7. シカゴ
アメリカの哲学者,著述家。シカゴ大学でドイツ生れの政治哲学者,レオ・シュトラウスの指導を受け,西洋古典の研究に専念した。シカゴ大学,エール大学,コーネル大学の教授を歴任し,イスラエルやフランスなど,外国の大学でも教壇に立った。話題となったベストセラー『アメリカン・マインドの終焉 文化と教育の危機』 The Closing of the American Mind: How Higher Education Has Failed Democracy and Impoverished the Souls of Today's Students (1987) の著者として,またプラトンルソーの翻訳者として知られる。 1969年にコーネル大学の学生がいくつかの必須科目を廃止し自分たちに「関係の深い」科目を取入れることを要求して大学本部を占拠したのに対し,大学当局が屈したことに不満をいだいて辞任した。ブルームは大学がもはや学生に思考の方法を教えていないとその著書のなかで痛烈に批判している。教育危機の原因として,誤った考え方に基づくカリキュラムやロックやテレビの悪影響,大学のエリート主義をあげている。

ブルーム
Broom, Robert

[生]1866.12.30. スコットランド
[没]1951.4.6. ヨハネスブルク
イギリスの人類学者,古生物学者。グラスゴー大学卒業後,南アフリカ共和国に渡り,ビクトリア大学教授,のちトランスバール博物館員。 1924年 R.ダートタウングで発見したアウストラロピテクス類がヒト科の動物であることを支持して,猿人化石の探索に努め,助手 J.ロビンソンとともにプレシアントロプス・トランスバーレンシス (1936) ,パラントロプス・ロブストゥス (38~41) ,パラントロプス・クラシデンス (49) などを発見。主著"The South-African Ape-Man" (46) ,"The Genera and Species of the South African Fossil Ape-Man" (50) 。

ブルーム
Bloom, Benjamin Samuel

[生]1913.2.21.
[没]1999.9.13.
アメリカの教育学者。カリキュラム研究者として著名。学習到達の程度と内容を測定するために,認知的領域と情緒的領域から精細な教育目標を定式化した「教育目標の分類学」は,各国の教育界に大きな影響を与えた。これを基礎にマスタリー・ラーニングと呼ばれる学習・評価の理論を発展させた。また,ユネスコ派遣コンサルタントとして各国の教育行政を援助するとともに,就学前教育の重要性と潜在カリキュラム研究の必要性を強調するなど,現代教育の問題に関して活発に発言している。

ブルーム
Brougham, John

[生]1814.5.9. ダブリン
[没]1880.6.7. ニューヨーク
アイルランド出身の俳優,劇場支配人,劇作家。初めロンドンでデビュー,1842年アメリカに渡り,ニューヨークの舞台で喜劇的なアイルランド人を演じた。またロンドンのライシアム劇場を皮切りにニューヨークの劇場で支配人として活躍したほか,翻案劇,笑劇などを多数執筆した。

ブルーム
Brougham, Henry Peter

[生]1778.9.19. エディンバラ
[没]1868.5.7. カンヌ
イギリスの政治家。『エディンバラ・レビュー』創刊者の一人。 1810年下院に入る。ホイッグ党左派に所属,法制改革などに努力した。 C.グレー内閣の大法官となり,ロンドン大学創設にも参画した。彼が初めて使用した1頭立ての四輪箱馬車は,その名前を取って broughamと呼ばれる。

ブルーム
Bloem, Jacobus Cornelis

[生]1887.5.10. オウツフールン
[没]1966.8.10. カレンベルヘ
オランダの詩人。ホイヘンス賞 (1949) ,ホーフト賞 (53) ,オランダ文学大賞 (65) などを受賞。代表作『願望』 Het verlangen (21) ,『日暮れ』 Avond (50) ,『離別』 Afscheid (57) 。

ブルーム
Broome

オーストラリア,ウェスタンオーストラリア州北部,パースの北 2200kmにある港町。 20世紀初め,日本人はじめアジア人による真珠採取でにぎわったが,1930年代から衰退し,現在はキンバリー高原西部の牛肉の集散,輸出に依存。人口 5778 (1986) 。

ブルーム
Brome, Richard

[生]?
[没]1652頃
イギリスの劇作家。ベン・ジョンソンの従僕あるいは秘書をつとめた。『町の才人』 The City Wit (1628) など,写実的な喜劇を書いた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルーム」の意味・わかりやすい解説

ブルーム
Henry Peter Brougham,1st Baron of Brougham and Vaux
生没年:1778-1868

イギリスの政治家,法律家。スコットランドの出身でエジンバラ大学に学び,弁護士を開業。文才にも恵まれて《エジンバラ・レビュー》の創刊に参加。1803年,イングランド法曹界の籍を獲得,05年,居をロンドンに移した。10年に下院議員となり,容赦のない執拗な弁舌で奴隷貿易に反対し,神聖同盟を論難するなど,ジェントルマンらしからぬ特異な急進主義者として議会の内外に知られた。教育と法制度の改革にも熱心で,労働者教育の振興,裁判機構の合理化を主張し,28年には,ジェームズ・ミルらとともにロンドンに最初の市民大学(後のロンドン大学)を設立した。30年,ホイッグ党グレー内閣の大法官に迎えられ,第1次選挙法改正に尽力,34年までその職にあった。大法官在職中,奇怪ないす型の四輪馬車を乗りまわし,この馬車が後に改良されてブルーム型の馬車となった。また35年に南フランスのカンヌに別荘を開き,観光地カンヌの発展を先導した。
執筆者:

ブルーム
Robert Broom
生没年:1866-1951

イギリスの人類学者。南アフリカ共和国で医業のかたわら古生物学を研究していたが,やがてビクトリア・カレッジの地質学・動物学の教授になった。69歳からあとはトランスバール博物館に属し,アウストラロピテクス化石発見の意義を認められずにいたR.ダートを支援する意欲に燃えて,猿人化石の発見に努力した。まず1936年から38年にかけて,住民の協力のもとに発見された化石にもとづき,ステルクフォンテイン出土のアウストラロピテクス(のちにプレシアントロプスに改名)・トランスバーレンシスと,クロムドライ出土のパラントロプス・ロブストスを記載した。現在,前者はアウストラロピテクス・アフリカヌスとされている。第2次大戦後も南アフリカの猿人化石の発見に活躍し,同僚のJ.ロビンソン,およびR.ダートとともに,猿人研究の基礎を築いた。
執筆者:

ブルーム
Robert Blum
生没年:1807-48

ドイツの革命家。ケルンの貧民階層の家に生まれ,さまざまな職業を経たのち,1832年から劇場事務員としてライプチヒに定住する。40年代からはみずから出版社を興して新聞・雑誌の編集,発行に携わるとともに,文筆活動にも従事し,ザクセンにおける民主主義運動の中心人物となり,絶大な大衆的人気を博す。48年革命に際してはライプチヒからフランクフルト国民議会に選出される。同議会内での政治的立場は穏健左派であったが,同年10月のウィーン蜂起に際して議会内左派の代表団の一人としてウィーンに赴き,蜂起したウィーン・プロレタリアートを見捨てることなく最後までその地にとどまり,11月9日軍事裁判により銃殺刑に処される。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ブルーム」の意味・わかりやすい解説

ブルーム

米国の批評家,文学理論家。ユダヤ系。P.ド・マンらとともにイェール学派を構成した,脱構築批評家の一人。《幻視の詩人たち》(1971年)ではロマン主義の幻視的想像力の伝統に注目,T.S.エリオット中心の文学史の修正を試みた。その後,フロイトのエディプス理論を文学史に適用し,〈強い詩人〉は先行詩人の作品を〈誤読〉することによって地歩を獲得すると説く《影響の不安》(1973年),《誤読の地図》(1975年),《カバラと批評》(1975年),《詩と抑圧》(1976年)などを発表。
→関連項目ハートマン

ブルーム

英国の政治家,法律家。エディンバラ大学で学び,弁護士となる。《エディンバラ・レビュー》の創刊に加わる。1803年イングランドの法廷弁護士の資格を獲得してロンドンに移り,1810年下院議員となり,奴隷貿易や神聖同盟批判の雄弁でならし,また労働者教育の必要性を唱え,J.ミルらとのちのロンドン大学の創立に尽力した。1830年グレー内閣の大法官になり,裁判と法制度の改革を主張,第1次選挙法改正の実現に力を貸した。大法官時代に乗りまわしていた1頭立ての4輪箱馬車は,彼の名をとって〈ブルーム型〉と呼ばれるようになった。

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岩石学辞典 「ブルーム」の解説

ブルーム

風解(efflorescence)のこと.一般に個々の生物種の生産量に季節変化が見られる場合の生産の極大をいう[地学団体研究会 : 1994].

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栄養・生化学辞典 「ブルーム」の解説

ブルーム

 →シュガーブルーム

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世界大百科事典(旧版)内のブルームの言及

【猿人】より

…なお,今から約500万年前の最古の猿人化石として,ケニアのトゥルカナ湖に近いロサガムで発見されている下顎片があり,きゃしゃな猿人のものに類すると言われているが,詳細は報告されていない。
[がんじょうな猿人]
 1938年,R.ブルームが南アフリカのクロムドラーイで出土の化石にパラントロプス・ロブストゥスの学名を与えて以来,南および東アフリカで多数の化石が発見されてきた。東アフリカからは,1959年にL.リーキーがジンジャントロプス・ボイジイと名づけた頭骨化石が最初であるが,まもなくリーキー自身が,その学名を,アウストラロピテクス・ボイジイに変更した。…

【パラントロプス】より

…一部の猿人に与えられた名称で,ラテン語で〈類人〉という意味をもつ。1938年,R.ブルームが,南アフリカ共和国内にあるクロムドラーイ遺跡で出土の人類化石(頭骨)を民間人より手に入れ,それをパラントロプス・ロブストゥスの学名で記載したのが始まりで,きゃしゃな猿人アウストラロピテクスに対して,がんじょうな猿人パラントロプスとして有名になってきた。現在は学名をアウストラロピテクス・ロブストゥスとし,パラントロプスの名は亜属名ないしは単に通称として使用することが多くなっている。…

【ロンドン大学】より

…ロンドンにあるイギリス最大の大学。1826年,急進主義者のH.P.ブルームJ.ミル,それに非国教徒が中心になって,ロンドンに宗教色のないユニバーシティ・カレッジが設立(1828開校)され,ついで28年,それに対抗して国教会によりキングズ・カレッジが設立(1831開校)された。この二つのカレッジは,イングランドに生まれた最初の市民大学で,中流階級の子弟を対象に,自然,社会,人文の各分野にわたる諸学科を幅広く教授し,この点で中世以来のオックスフォード大学ケンブリッジ大学とは著しい対照をなした。…

※「ブルーム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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